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12月







 (新聖歌172。望みも消え行くまでに、数えてみよ、主の恵み。)




好きな賛美です。




昨年12月31日、三番目の孫が私たちに与えられました。




もうすぐ満1歳。会う人が「園長先生に似てますね。」と言ってくれます。聞くたび嬉しくなります。




でも本人はそんなことお構いなく私に抱っこされるとすぐ顔をくるりと横に向けてしまいます。抱っこしないと大泣きで抱っこを求めます。甘えと知っていますがすぐに手を出してしまいます。他の人が見たら、孫に甘いおじいちゃんと思われるでしょ。




今年の初め家族が増えた喜びを持って迎えることが出来ました。1月になり長男がひとりの女性を伴って来ました。そして6月に結婚式。来年の春には子どもが生まれます。




私たちの家族が増えています。アブラハムが神様から与えられた祝福を思い感謝しています。そして何よりの感謝は皆で教会に来ていることです。




42年前、一人の若者がイエス様の救いを受けました。今は8人の祝福です。来年は9人の祝福になります。9倍の祝福です。




教会の伝道は外に向かってのことが強調されますが大事なのは家族伝道です。今、一人の青年が信仰を持つと40年後には5倍にも10倍もの祝福を受けます。アブラハムへの約束は私たちに対しての約束でもあります。これほど確かな伝道は他にありません。




日本の教会が40年前も今も変わらないのはこのことにあまり祈りを向けてこなかったことにあるのではと思います。




以前、NHK番組で人気のあった「大草原の家」がありました。人気の秘訣は主人公の家族に対しての絆でした。彼らは日曜日になると全員礼拝に行くのです。一家の主(あるじ)が皆を導いています。家族を大事にする姿に私たち日本人は共感を受けたのでした。




第一伝道対象者は家族です。家族は私たちを身近に見ていますから一番証が出来ます。




42年前、私の母は私がキリスト者になりそして家を飛び出して牧師になった時、心痛め毎日泣いていました。しかし亡くなる前の6年間、教会に来るのを楽しみにするようになり最後はイエス様を受け入れ洗礼を自分の息子から受けました。




家族の日頃からの絆が大切です。新しい年、家族の救いを求め祈りましょう。







 早いもので2011年もあとわずかで過ぎようとしています。




特に今年は大きな出来事があったので一年の速さを実感しています。千年に一度といわれている巨大地震、大津波、今まで経験したことの無い原子力発電の事故。潮来市も大きな被害を受けました。私の姪も津波で命を奪われました。




3月11日は歴史に忘れられることのない日として記憶されます。あの日、私たちは新年度の計画を話し合うため評議委員会を園の遊戯室で行っていました。




最初は小さな揺れですぐに治まると思っていました。しかし揺れは次第に大きくなりこれはただ事でないと感じ園児全員に避難指示を出し園庭に集まりました。




隣の家の二階は積み木が揺れるように今でもつぶれてしまうのではと思うような大きく目の前で揺れていました。その隣の家の二階からかわらが大きな音と共に剥がれ落ち園庭にも一部が飛んできました。




園舎は大きい建物です。ゆらゆら揺れてひっぱい会う状態でした。地震は止まず立っているのも出来ない状態がしばらく続きました。




幸い、園児、職員に怪我もなく無事家に帰ることができ安心しました。




教会は埋めたばかりの所に建ていたので、もしかしたら崩れているのではないかと心配しながら行ってみると外見はそのまま、内部は天井板が2枚落ちただけで被害は少なく済みました。これは本当に奇跡でした。




被害を受けた日の出地区は埋め立て地です。教会も埋め立て地ですがわずかな被害で済んだことに神様の御守りを感謝しました。




この地震以来私は地震に対してトラウマが出ています。今も少し揺れただけでもドキッとします。




一番しっかりしていると思われている地面が揺れ動きました。目に見えるもので大丈夫と思われるものが存在しないことを知りました。




聖書の言葉は数千年の歴史の中でいつも変わりません。今こそ私たちの国は永遠に変わらない存在者である神様に土台を置く時です。いつ何が起きるか分からない今日です。




私たちは「天地が滅んでも私の言葉は滅びない」といわれたイエス様の御言葉にしっかりと根ざして新しい年を迎えたいと思います。







日本は世界でも伝道困難な国です。色々な国から宣教師が来ています。母国に戻り伝道報告をする時、日本の報告が一番さびしいといいます。




韓国、アフリカ、ロシア等に沢山の教会が宣教師によって生まれ多くの人が集います。しかし日本では30年間伝道しても集まる人はわずかです。




潮来は10年前に3万2千人以上の人口があり教会も4つありました。それぞれの教会に専任牧師がいました。今、教会は3つになり専任牧師は2人になっています。人口も3万人をもうすぐ切ります。そんな中でイエス様を伝えることは並大抵ではありません。そのことを皆さん自身も感じていることと思います。




それぞれの教会では色々な伝道方法を考えています。水郷めぐみ教会の伝道は保育園・幼稚園と深く関係しています。今年も2回音楽伝道礼拝をすることが出来ました。




園関係者を含め沢山の方々が集いました。その中から親子礼拝に導かれている人もいます。先週の集会に2人の方が久しぶりに来ました。卒園児で、昔日曜学校に来ていた人です。今の教会になって初めて来ました。大きくなったので名前を言われるまで気がつきませんでした。とっても嬉しかったです。




「今も日曜学校してますか。」と聞いていました。「今は午後にしているよ。」「私も出ていいですか。」「もちろん。」嬉しい会話が交わされました。蒔かれていた福音の種が残っていたのです。




水郷めぐみ教会には「こひつじ園」という伝道の対象があることは感謝なことです。幼児伝道は種まき伝道といわれています。蒔くことが出来るだけでも感謝です。




やがて日本にも諸外国と同じようなリバイバルの時が来ます。蒔かれた福音の種に聖霊の恵みが注がれると大きな収穫が出来ます。蒔かれないと収穫はありません。




伝道の困難な地方の小さな町で出来ることから始めるのが大事かなと思っています。教会に沢山の人が来てくれることは喜びです。神様に少しでも触れてもらえるからです。そしてそれが伝道の第一歩になります。




わたしたちも沢山の方々が来られることは嬉しいことです。多くの教会でクリスマス伝道会が行われています。







こひつじ園では30年前からサツマイモを作っています。暖かくなってきた5月に園児たちと芋苗を植え、10月過ぎたころみんなで掘り出します。そして焼き芋にして食べます。




以前は近くの里山に行き落ち葉を拾いそれを園に持ってきて焚き火にし芋を中に放り込んで焼き芋にしました。しかしこれは焼き具合が難しいです。それに市の条例で焚き火が禁止されてからは別な方法で焼き芋にしています。




サツマイモの食べ方は色々ありますがやはり一番のお勧めは焼き芋です。焼けた芋は皮が黒くなります。しかし皮をむくと中はとってもきれいな黄色になってそこから湯気がゆらゆらと出ています。黄色になった焼き芋は甘く暖かくとても美味しいです。




掘りたての芋はそのまま食べても美味しくありませんが火を通すと美味しい芋に変化します。




神様は私たち人間を造られました。(学校では人間はサルから進化して来たと教えていますがあくまでも仮説です。)人間は哺乳類動物の中では最高の知能を備えています。これは神様が与えてくださったものです。しかし残念ながら神様が与えてくださった能力を充分に活かしきれていないのが現状です。




サツマイモはそのままでは誰も食べてくれません。火を通すと皆から美味しいといって食べてもらえます。火がサツマイモの持っている素材を生かすのです。




神様は人間が持っている能力を正しい方向に活かそうとされています。それには神様の手が加わることが必要なのです。




人間は善人にも悪人にもなれる不思議な存在です。しかし神様が活かすのは悪でなく善です。私たちを造られた神様は私たちを愛しておられます。




「クリスマス」とても素敵な響きを持っている言葉です。心温まる言葉です。美しさをもたらす言葉です。華やかさを感じさせる言葉です。




その根源はイエス・キリストの誕生にあります。イエス・キリストの誕生は私たちの持っている素材を活かし幸せな生活を送られるようにしてくださいます。




聖書はそのことを「今日、救い主が生まれた。」と言っています。

11月










今週から12月に入ります。本当に一年の流れの速さをしみじみと感じます。




次週12月4日はクリスマス音楽特集が行われます。今回はゲストに岩淵まことさんをお呼びしています。素晴らしい恵みの時を持つことが出来ると思います。




準備も進んでいます。素敵なチラシが出来ました。これを用いて集会にお誘いしましょう。何でもいいです。教会に来ることが伝道の第一歩です。私たちが誘うことが大事です。




「こひつじ園」からもたくさんの人が来るように招いています。会堂がいっぱいになるようにしましょう。




音楽と共に牧師の語るメッセージのためにもお祈りください。




潮来でノンクリスチャンにとって一番身近に感じる牧師が私です。村上先生のように、中野雄一郎先生のように話は上手ではありません。しかし聖霊が働く時、神様の奇跡が起こります。




私は毎週土曜日朝7時からのライフラインのテレビを見ています。牧師が語る聖書メッセージを聞きます。皆さん一生懸命に話している姿に感動を受けます。




土曜日の次は日曜日です。私は講壇から聖書の話をします。そんな時テレビでのメッセージを思い浮かべます。そして説教できることを感謝しています。




年に2回音楽伝道会をします。いつもの礼拝の3倍以上の集会になります。そこで伝道メッセージを語れることは牧師として大きな感謝です。牧師のためお祈りください。




また、私たちの招きから教会に来る人が起こされるようにお祈りしましょう。ゲストが神様に用いられるよう祈りましょう。良い天気が与えられるよう祈りましょう。




そして私たちが単にゲストの音楽を楽しむのでなく、この礼拝において本当の神様を礼拝する姿を証ししましょう。それは素晴らしい伝道です。




私も初めて教会に行ったとき教会の人たちが神様を礼拝している姿に心打たれました。礼拝は素敵な音楽を聴く、著名な先生の話を聴くためではありません。そこにおられる神様を拝することです。そこに聖霊様は動きます。




今日の礼拝がそのような礼拝であるように神様の前に跪く礼拝をしましょう。神様は私たちの礼拝をご覧になっています。







秋も深まり寒さが増してきました。あと一ヶ月でクリスマスを迎えます。




クリスマスはキリスト教会にとって大切な時期です。私たちは心からイエス様のお誕生をお祝いします。そしてこの恵みを他の人にも伝えたいと多くの教会で伝道会を行います。




私たちの教会もそうしています。大人向けの伝道会、子供向けの伝道会です。




子どもの集会はキャンプ、バーベキユー大会、そしてクリスマス会と行ってきました。今年は先週、幼児祝福式と合わせて特集をしました。お好み焼き、ポップコーン大会をしました。クリスマス前にこのような催し物をするのは本当に久ぶりです。




10年前、小さな教会時代は子ども向きイベントをしていました。焼き鳥大会、ホットプレート大会、そして外部から講師をお招きしての特集などです。各集会多くの子ども達が集いました。時には会堂に入りきれないほどの盛況でした。玄関には子どもの靴が溢れ道路まではみ出していました。




9年前、今のところに引っ越してからは子どもの数が少なくなってきました。場所的なこともあってのことと思います。先週の集いは10年前を思い起こさせてくれるような集会でした。




私たち牧師夫婦ははだいぶ年齢を重ねてきました。しかし次の世代の働きが起こっています。バーベーキュー然り、キャンプ然りです。今回も企画、案内、それに当日は教会員はもちろんですがノンクリスチャンの若いお母さんたちがご奉仕をし大きな助けとなってくれました。次の世代の働きが起されていることは教会にとって恵みです。




12月4日は音楽ゲストを招いてクリスマス音楽伝道集会をします。今回は新聞折込をと祈っています。12月25日は子ども向きのクリスマス伝道大会を祈っています。




日本の地方都市で長い間伝道をしていた宣教師が定年になって母国に帰国しました。




帰国するとき「日本には沢山の御言葉の種が蒔かれました。リバイバルが起こった時、芽を出し成長し実を結びます。その時、日本の教会は人々で溢れます。」と言い残しました。母国を離れ長い人生のほとんどを異国の地での伝道にささげた人の感想です。




子どもにまかれた種は成長しつつあります。それを見られることは喜びです。奉仕をした全員が感謝をしました。







 2002年11月9日は水郷めぐみ教会の献堂式でした。あれから9年になります。来年は10年目です。早いものですね。




 当時、私は献堂式をする考えがありませんでした。めぐみ教会は人間の意志によらず、死人を生かす神様のお声を聞いて始めました。ですから人間的には誰にも相談しませんでした。開所式もありませんでした。




 そんな私が招待客を招いて献堂式を行うことは考えられませんでした。内輪でお祝いし、ただ神様に感謝をささげるだけのものと考えていました。招待してもせいぜい20名くらいしかお祝いに来てくださる方はいないだろうと予想していました。




 でも20名でもいいから献堂式をしましょうとの声があり献堂式をしました。当日は予想をはるかに超える100名近くの方々がお祝いに集まってくださいました。こんなにたくさんの方々がお祝いに駆けつけてくださったことに涙がこぼれる嬉しさを感じました。




 そして私たちがこの教会を始めたのは間違っていないと神からの確信を頂きました。




 取得の難しい宗教法人格も取得できました。そして、その5年後に保育園も広い場所に移り以前よりも大きな園舎を建てることも出来ました。今では市内の方々から高い評価を受けています。全て主の祝福です。




 会堂が大きくなると伝道会にもたくさんの方々が来られます。年に2回音楽礼拝伝道会をしています。これも会堂が大きくなったことにより可能となりました。




 今年も12月4日にクリスマス音楽礼拝をします。園児保護者の方々が多く来てくださいます。新聞折込で案内をしても教会に来る人は少ないです。




 先日、商工会の講演会案内が行方市、潮来市の新聞に入っていました。それを見てこられた方は数名でした。いかに新聞折込の効果が少ないか、特に宗教関係の案内には反応が少ないです。




 しかし全く効果がないことでもありません。必要な時もあるでしょう。そんな中、保育園、幼稚園の関係者が会堂いっぱい来てくださることは感謝なことです。




 保育園、幼稚園は大きな伝道の働きになっています。




 来年は10年目を迎えます。返済も終わる予定です。10年目になったら正面のテープステンドガラスを本物にしたいと祈ってます。テープもだいぶ色落ちしてきました。







 今年の秋はいつもより暖かな季節です。寒さに弱い私は楽ですが秋野菜に変化が出ています。




 今、白菜とキャベツを育てていますが葉が大きく外に育ち中に向かって玉を作らないのです。ですから葉だけが大きくなり収穫することが出来ないでいます。これは私の栽培方が悪いのでなく当たり前の寒さが来ていない気候の影響です。今年の秋野菜の値段は高くなるようです。




 先日、水戸から帰り道広いキャベツ畑の脇を通りました。きれいに整然と並んでいるキャベツを見るのは気持ちがいいものです。




 目を奥のほうに向けるとトラックに大きなタンクを積んでそこからホースを伸ばして農薬をかけている作業が目に入りました。




 お店に並んでいる野菜はどれもきれいです。農薬をまかない野菜には虫がつきほとんど食べられてしまいます。ですから私は寒冷紗をかぶせて虫から野菜を守っています。広い農場では出来ないことです。




 農薬を使って虫を殺し、農薬を野菜にしみこませ、それを食べる虫が死ぬようにします。これは日本農業の現状です。




 今、日本は放射線に敏感です。小さな子どもを持っているお母さんたちは子どもに対する影響をとても心配しています。しかし毎日食べている食料品には注意をあまり払いません。




 以前、中国産餃子で被害が出たとき中国餃子が売れなくなってしまいました。でも今はあまり注意を払いません。




 私たち日本人は何が大事なことか、そして本質なことに目を向けることが苦手なようです。一時的には大騒ぎをしますがいつの間にか忘れてしまう傾向があるようです。




 聖書は人間の生きる本質を取り扱っています。これはとても大切なことです。そして聖書には間違いがないことを歴史が証明しています。ですから私たちは聖書にもっと関心を向けるべきです。そうすると人間にとって何が大事なことかが分かります。




 幸い日本では聖書を読み礼拝に出席できる自由が認められています。お隣の中国では共産党の意に適わない教会、礼拝は政府の手によって潰されてしまいます。




 大地は私たちに大きな恵みをもたらしています。その恵みを創造されているのは創造主である神です。




 私たちも聖書という素晴らしい恵みにしっかりと足を置いて進みましょう。

10月







 先週は旗の台教会創立記念特集に招かれてご奉仕してきました。和子先生も一緒でしたので心強かったです。




 旗の台は品川区にあります。都心部とは違う街ですが家が、ぎっしり隣に隙間がないほどに建っています。教会は商店街の真ん中に在り鉄筋コンクリート3階建のとても立派な物です。




 教会前は一日中人通りが絶えません。教会も多くあるとのことです。




 私は婚約中に旗の台近くの洗足池でデートしました。(ここには勝海舟の御墓があります。)千葉から通っていたのです。いまより交通の便がなかった時でした。でも会いたい気持ちが不便も長距離も乗り越えさせてくれるのですね。愛とはこんなに素晴らしい力を発揮するのかと思っていました。




 旗の台での集会は伝道礼拝を私が、午後の集会を和子先生が担当しました。和子先生の説教題は「すっごいイエス様」。私のは「上を向いて歩こう」でした。




 私は若いころ(20歳前)隣の大田区に住んでいました。その時に大森駅の前にある教会に導かれてイエス様を信じ2月の寒い中、神奈川県山中を流れている道志川で洗礼を受けました。




 ですから東京は魂の故郷です。東京で説教出来たことは大きな喜びでした。しかし都会には都会なりの伝道の難しさがあるようです。




 人が多いので教会を訪れる人は地方よりも多いようですがイエス様を求め救いに至るまで導かれることの難しさは都会でも地方でも同じと思いました。




 私たちは今、保育園、幼稚園の働きを通して証しと伝道の働きをしています。それが第二礼拝、親子礼拝とつながっています。




 幼児伝道は種まき伝道と昔から言われています。すぐに結果が表れない分、本当に伝道の働きをしているのかと思われる方もおられます。




 先日のテレビで若者に農業につく若者が増えてきたと報道されていました。その時、指導者は「農業はまず種まきから、明日を信じて種をまくことが大事です。」と語っていました。私もうなずきました。




 伝道もそうです。明日を信じて種まきをしないと芽は出ません。理屈よりもまず出来るところから始めることが大事です。私たちは明日を信じて種をまき続けます。




 今、日本ホーりネス教団の信徒代議員をしている方も幼稚園の時、初めてイエス様のことを聞いた人です。感謝。









  昨日はラジオ放送の録音があり緊張しました。慣れないことは難しいですね。これが全国に放送されると考えると責任を感じました。でも無事録音が終わりホットしています。


 私たちは、今日は東京にある旗の台教会の特集です。私のような田舎の牧師は他の教会に招かれて御用をすることはほとんどありません。わたし自身以前どこの教会に招かれたか記憶がありません。ですから余り慣れていませんので緊張しています。




 日本ホーリネス教団は教団幹部や聖書学院の教授になると他から声がかかります。でも田舎で伝道している牧師にはあまり声はかかりません。




 今、地方の教会は疲弊しています。教会単立で牧師生活を支えることさえ困難になっています。それだけ地方の伝道は難しさがあります。




 私は時々考えます。アメリカで留学して学んできたことを地方の困難な教会に赴任してそこで学びの実践をしてみてはと。




 世界で一番小さな教会は日本です。お隣の韓国でも中国でもキリスト教は浸透しています。教会がどんどん増えています。日本の伝道が地方からはじめなければいつになってもキリスト教は外国の宗教であり、日本に土着するのは困難です。




 先日、和子先生とあるご家庭を訪問しました。そこの方は私たち二人が行ったものですから「布教に来たのかしら」と警戒心を感じたようでした。この辺ではまだまだキリスト教に心を開いてくださる人は少ないです。




 私たち夫婦が最初の任命を受けたのは新宿にある教会でした。青年には地方の教会から来た人が何人もいました。あれから40年近くなります。都会の教会は今どんな教会になっているか興味があります。




 しかし今回は伝道集会に招かれています。都会の教会に興味を示すよりも、招いてくださった教会で私たち夫婦が語る神様の言葉によって信仰を持つ人が与えられるようにと祈っています。




 私自身は都会の教会で信仰を与えられた一人です。ですから都会の教会で御用をすることに責任を感じます。




 都会の教会で信仰を持った人が地方に送られてくるようになったら素晴らしいと思います。今は地方で信仰を持った方が都会に送り出されているのが多いです。




 これからは地方の時代と言った人がいました。私は地方の田舎牧師ですが自信を持って行きます。







  私は野菜作りが好きです。昔、聖書学院生時代に学院庭の芝をはがして野菜を作っていたら宣教師の先生にひどく叱られたことがありました。このことは今でも学院で語り継がれていると夏季伝の修養生が語っていました。




 野菜作りの基本は土作りからです。それには土に有機質肥料を入れて地力を高めます。そこに育つ野菜は土に根を張り養分を吸収し収穫をもたらします。




 同じ土から養分を吸収しますが実りは多種多様です。甘いものもあり、苦いものもあり、葉物、果樹、根菜と。それを支えているのが土です。土には豊かな可能性があります。




 聖書に「御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます。」詩篇119:130とあります。御言葉には無限大の力があります。




 それを眺めていただけでは御言葉の素晴らしい経験をすることは出来ません。祈りを持って御言葉を読み、御言葉を黙想すると御言葉の光が射してきます。




 その時、わたしたちは御言葉の持つ力の大きさに胸が熱くなります。御言葉が私たちをグイグイと導いてくれます。有機質肥料で作られた土の持つ力と御言葉の持つ恵みに、通じるものがあるような気がしています。




 有機質肥料を作るには時間がかかります。工場で作られた化成肥料は簡単に使えますが続けていると地力が無くなってきます。




 御言葉の光を受けるには簡単なことでは出来ません。有機質肥料を作るに時間が求められるように聖書にも丁寧な時間をかける必要があります。そうすると御言葉は読む人誰にでもその人にふさわしい実を結ばせてくださいます。




 イエス様は良い土地に落ちた種は育ち実を結び30倍、60倍、100倍にもなると言われました。そこはよく耕され有機質肥料で微生物が働いている土地です。




 良い地は柔らかです。悪い土は固いです。固い土を砕いて有機質肥料を入れると柔らかな柔軟性のある土になります。




 御言葉を読む私たちにも通じるところがあります。固い心で読んでは実を結ぶことが出来ません。広い心も神様が作ってくださいます。




 私たちの信仰は柔軟性を持っているでしょうか。それとも固い心でしょうか。神様は私たちを広い心を持った人間として作ってくささいました。神の愛が注がれている私たちにはそれがあるのです。







 今月22日(土)にキリスト教ラジオ番組FEBCが教会に来て私の話を録音します。きっかけはホームページに載せている私の証し「神拾牧師」を担当者が読んだことです。




 この番組のタイトルは「今あるは神の恵み」です。




 それを15分間にまとめて話してくださいと、先日、電話がありました。




 私が以前の教会を任命途中で辞職したのは自分の力足らなさでした。牧師に対する意見が大きくなってきました。そのため講壇に立って説教する時、心臓がドキドキ、足はガタガタ、のどはカラカラになっていました。




 金曜日になると胃が痛くなり説教に喜びも感謝も無くなってしまいました。これ以上牧師を続けることは無理と二人で判断し、本部に辞職願を出しました。




 任期途中でしたが教会から去ることにしました。




 その時しみじみ感じたことは教会が語っている「愛」は何かでした。しかし神様の召命は変わりませんでした。




 水郷めぐみ教会を始める時に大事にした御言葉はローマの信徒への手紙15章7「神の栄光のためにキリストがあなた方を受け入れてくださったように、あなた方も互いに相手を受け入れなさい。」でした。




 神様は私たちの欠点、足らない所を責めることをしません。ありのままの私たちを受け入れてくださいます。神様の目からは完全な人は誰もいません。それでも神様は私たちを受け入れ神の子どもとしてくださいました。これが聖書の語る「愛」です。




 しかしサタンは働きます。相手の欠点に目を向けるようにします。小さなものでも大きく見せます。そこに生まれるのは批判です。愛は生まれません。




 自分が神様から許されたことをサタンは忘れさせようとします。聖霊は悲しみます。水郷めぐみ教会は「裁かない。批判しない。」が、創立以来のモットーです。そこに聖霊は喜んで臨在してくださいます。




 いままで沢山の恵みをいただいてきました。私はこのことをラジオのマイクに向かって話そうと考えています。




 自分の話が電波を通して全国に流れることは夢にも考えていませんでした。私にとって大きなことです。それだけに緊張があります。録音前日の金曜日は緊張で胃が痛くなってしまうのではないかと今から心配しています。




 どうぞ牧師のためお祈りください。そして話が用いられるように。







 秋たけなわです。秋といえば運動会の季節です。




 福島県の小学校では原発事故で運動会を体育館内でしている学校があります。運動会は運動場でさせてあげたいです。




 こひつじ園(保育園・幼稚園)でも運動会をしました。今は近くの小学校校庭を借りてしています。とても広いです。そこに400名から500名の人が集まります。




 開会式は賛美歌、御言葉、祈りで進められます。間接的な証になると信じています。




 しかし、運動苦手な私は小学生頃から運動会は好きでありませんでした。駆け足は最後か最後から二番目。スタートラインに立つ前からドキドキ緊張感。これが嫌でした。




 でも好きな人もいるのです。和子先生は運動会が大好きでした。そんな私が主催者として34回も運動会を進めてきました。主催者の私は駆け足をしませんから苦手になりません。かえって張り切って準備に取り掛かりました。




 前日からほうき、カマを持ってグラウンドの準備。トラックの線引き、テント張りなど率先していました。しかし人間いつまでも若くいられません。出来ることが出来なくなっいてきます。




 私の恩師であるK師は日本でも指折りの説教者でした。今は昔のような説教は続けられなくなってきています。




 私も今は運動会の準備が出来なくなり若い人たちにゆだねています。感謝なことは若い人が私に代わって率先してくれることです。




 私たち昭和22年生まれは戦後ベビーブームで一番多い年齢層をしめています。いわゆる団塊世代です。ほとんど退職している人たちで。会えば「今、どんな薬飲んでいるの。」と薬と身体の健康のことが一番の話題です。




 同級生の親はほとんど亡くなっています。「次は私たちの順番だね。」と、話すことが多くあります。しかし、神様は命の継承を創られました。若さは命とともに子どもに引き継がれていきます。さらに孫へと受け継がれていきます。




 命は引き継がれますが一番大事なことは信仰です。今日の説教者松木先生は牧師二世です。信仰は三世になるのでしょうか。命と信仰が引き継がれているのです。




 私たちは命だけでなく信仰も次の世代に渡していく責任があります。そのような教会は強い教会です。一番の伝道は家族伝道です。あの金持ちの様にならないように。


9月







 10日程前から腰を痛め不自由しています。原因は暑い時に畑を耕しその後、教会駐車場草刈りをしたことです。




 以前は、畑をくわで耕しの手作業でした。教会の草刈も一日で行い、道路の草まで刈っていました。きれいにするのが楽しみでした。多少の疲れは感じていましたが快い疲れでした。




 同じ作業をしているのに、ましてや畑は機械を使うようになって労力も楽になったのに何故痛むのかと腰をさすりながら考えていると一番いやな言葉が来ました。「もう歳なのだから無理をしないの。」




 自分ではそんな年齢になっているとは思いませんでした。それに草が生えていると母が「みっともないから草だけは抜くように。」といわれていた言葉が耳に聞こえてくるのです。生えている草を見ると体が動いてしまうのです。




 以前は楽に出来ていたことが出来なくいなるともどかしさを感じます。しかし年齢の積み重ねと体力の衰えには逆らえないのが現実です。




 牧師はいつまでも元気でいるのが当たり前と考える人もいます。牧師もそれに応えなくてはと思います。




 最近、聖書を読んでいて教えられることがあります。使徒パウロは若い時に多くの伝道旅行をしました。聖書では第三次伝道旅行をしたと書いてあります。若いときは元気だったのです。




 しかしパウロの生涯をよく読んでみると高齢になってから伝道旅行はしていません。一軒家を借りてそこに住み訪ねて来る人に福音を語ったとあります。使徒パウロでさえそうであるなら私も素直に年齢と肉体の衰えを認めるしかありません。




 数え65歳です。医学の言葉では高齢者です。もし一人で住んでいるなら民生員の対象者です。




 しかし高齢になると感謝なことがあります。子どもが結婚し孫が生まれることです。今3人の孫がいます。一人は小学生になりました。生まれたときは何にも出来ず泣いてばかりいたのが今では「ご奉仕」と言って色々と教会のとことをしてくれます。




 命は子ども、孫へと受け継がれていきます。信仰も受け継がれていきます。高齢者の恵みは子どもが与えられ、孫が与えられそして信仰が受け継がれていくことです。こんな喜びはありません。




 三世代で礼拝が出来ることが一番の感謝です。そのような家庭が増えることは大きな伝道です。







 先週、特別老人ホームに入所しているF姉妹を和子先生とお尋ねしました。この方は6年前にここに入られ、約8畳くらいの個室で生活しています。




 若くして信仰を持ち一生独身で来ました。今年97歳になるといわれました。




 私が知り合ったのは45年前です。私も若かりし青年でした。またこの方も現役でバリバリ仕事をしていてそのころは少し怖い顔をしていたような記憶があります。でも今はニコニコと顔中笑顔です。




 「あら、先生良く来てくれましたね。」と言われ返って訪ねた私たちを励ましてくれました。いつも私たちが行くのをとても楽しみにしておられ、喜んで迎えてくれます。




 「色々な人が来ますけれど信仰の恵みを持ってきてくださる牧師先生が来られるのが一番嬉しいです。」と、話され私たちを元気付けてくれました。




 何でも美味しく食べ、身体には悪いところが無い。耳が少し遠くなったのと足が弱ってきたことを除けば以前と同じ元気で生活しています。お顔もつやがあり元気そのものです。




 私が大きな声で詩編23編を読むとジーとして聞き、私が祈った後、しっかりとお祈りしました。帰り際、可愛くなったお顔を両手で挟んで女性の感触を経験させていただきました。握手もしました。握力は私と同じくらい今でもあるのです。




 人間、歳を重ねるのは神様が決められたことですから誰にも止められません。私は45年前は上り坂でした。今は下り坂です。しかし子どもが与えられ、孫が与えられています。嬉しいことです。何よりの感謝は次の世代が信仰を継承してくれていることです。




 何が神様の前に素晴らしいことか。次の世代に信仰をつなぐことです。私たちも先輩から知人から信仰を受けました。45年前は青年が多く教会に来ていました。高校生も来ていました。




 高齢者になる前に私たちがすることは一人でも多くの子どもたちへ、孫たちへ信仰のバトンを渡すことです。家庭に一人でも多くのキリスト者が生まれることです。家族そろって礼拝が出来るほど素晴らしいものはありません。




 信仰が次の世代に受け継がれる意味でも親子礼拝は大切です。彼らは上り坂にいます。5年後、10年後が楽しみです。子どもたちの声が溢れている教会は祝されています。







 9月も中旬になりました。今年も暑かった夏が終わります。今年の夏は私たちの教会に東京聖書学院から伝道チームが10日間の予定で派遣されたことは恵みでした。




 水郷めぐみ教会は単立教会でどこの教団にも属していません。平山牧師夫妻が日本ホーリネス教団牧師ということでホーリネス教団の恩恵を受けることが出来ます。(茨城教区も同じです。)




 チーム派遣が決まった時、新品の洗濯機がある兄弟から捧げられました。




「新しいのを購入したので今まで使っていたのを教会に捧げます。」と、いうことは色々な教会で聞きます。しかし神様に捧げるものを考える時どうかなと思うときがあります。




 聖書では捧げ物は最初に取れた一番よいものを神様に持ってきました。新品を捧げてくださった時、嬉しくなりました。このような信仰は神様に喜ばれます。




 私は牧師生活で二つの教会で教会墓地建設に携わりました。造る前は熱心になります。完成した後は掃除に行くことも少なくなってきます。




 水郷めぐみ教会墓地は地震にも守られました。そしてお盆が近くなった時、小学一年生の男の子が墓地の掃除に参加しました。私は暑さに弱ってしまい出来ませんでしたが小学生は雑巾を絞り暑い中一生懸命に掃除しました。




 彼は小学校に入ってから雑巾がけをするようになったのです。その姿を見て嬉しくなりました。イエス様もお喜びになりました。




 先週の親子礼拝はにぎやかでした。大人が10名、子どもが18名、合計28名の親子礼拝になりました。午前の礼拝を加えると50名以上の人が礼拝を捧げています。




 親子礼拝の中から月定献金があります。ここからイエス様を信じて洗礼を受ける人が起こされると信じています。




 親子礼拝を見ているとこれからの水郷めぐみ教会の将来が見えてきます。希望を持って受け止められます。




 神様を第一とすることは神様の愛に生かされることです。そこに神様は働いてくださいます。頭を上げ神様を仰ぎましょう。頭がたれていると希望は見えません。頭を上げると神様の栄光が見えます。




 今年後半の歩みも見るべき御方をしっかりと見ていきましょう。神様の恵みを数えることが出来ます。神様の恵みは手の届くところにあります。







 先週の日曜日、礼拝が終わってから千葉栄光教会創立50周年記念会に和子先生と出席してきました。




 ここは私が聖書学院3年生のミッションと4年生のインターンでお世話になった教会です。そして我々が結婚式をさせて頂いた教会でもあります。




 今は場所も変えて教会堂も総二階の大きな建物になっています。この教会は故松村悦夫牧師が開拓を始めた教会です。




 松村先生一家は戦時中キリスト教の弾圧に遭い苦難を経験しました。日本が戦争に負け信仰の自由が与えられてから政府は軍事施設を開放しました。千葉の若松町に在った軍事基地はキリスト教徒に払い下げになりキリスト村が形成されました。今ここにミッション系の短大があります。




 松村先生はそこに住み日曜日になるとバスに乗り千葉市内の教育会館の一室を借りて集会を始めました。冬はバスにストーブを、夏は扇風機を持って行ったと話しておられました。




 先生一家はその後財産を捧げ、私たちが結婚式をした会堂と隣りに牧師館を建て移り住んで本格的な伝道を始めました。松村先生は指導力、計画力、実行力を備えたまるで実業家のような働きをしていました。心広く教派を超えて沢山の人たちと交流を持ち、若い私を色々なところに連れて行ってくださり実際的な学びをさせてくださいました。




 そのころのことは私の「神拾い牧師」の証しに詳しく書いてありますのでお読みください。(余談ですがこれは本にまとめようとしています。)




 社会を見る広い目、こだわりのない愛の心、思ったら実行する行動力等々まじかで見させていただきました。今の私にどれだけ身についているかわかりませんが幸せな時期をここで過ごさせていただきました。




 35年ぶりに訪れた教会には当時青年会で共に奉仕した兄弟姉妹たち、中学生で来ていた人たち、その他色々とお世話になった方々と再会でき昔話に花が咲き恵みの時を持つことが出来ました。




 特に松村先生が強調していたことは日本の教会を強くするにはクリスチャンホームを沢山作ること、家族で教会に来ることでした。水郷めぐみ教会もこのことを目指し祈っています。




 松村先生は新会堂献堂式をした一カ月後に50代の若さで召されました。しかし教会は守られ成長しています。主に栄光!

8月










 「こんにちは、民生員の平山です。」と、声をかけて一人住まいの高齢者の家を訪問します。定期的にお弁当を配達したり安否確認、行事の案内と用事は色々です。


この働きをしてから7年半たちました。この間お亡くなりになった方も何人かいます。今は担当地区で11名受け持っています。




私も来年は65歳です。高齢者の仲間入りです。今の高齢者の方はとても元気です。記憶力が私よりも良いです。震災でどなたも無事で何よりでした。




 先日、23歳の葬儀に行きました。心筋梗塞で急なことでした。彼は小学4年生まで教会に来ていました。洗礼式にも共に行き(そのころは鰐川でしていました。)洗礼の様子を見て感激し「園長先生、僕も洗礼受けたいです。」と話していました。最近、若い人が心不全で亡くなることが多くあります。




 赤ちゃんで生まれた人が皆80代まで生きるとは限りません。福音はまず赤ちゃんから伝えることが必要かと考えています。




 宣教師のお子さんが3歳で救いの恵みに預かったことを聞いたことがあります。ですからアメリカでは小さい子どもに伝道することを大切にしています。




 先日の親子礼拝に私の親戚の者が、夫婦と二人の小学生の子どもと共に参加しました。彼は小羊保育園の卒業生です。久しぶりに賛美歌を歌い主の祈りを皆で唱えました。




 小羊保育園の卒園生はもうすぐ千人になります。かつて日曜学校に出ていた子どもたちを数えると潮来では千人以上の人間がイエス様の話を聞いています。潮来幼稚園、パプテスト教会の関係者を合わせるとその数は数千人になります。




 これは潮来市の人口3万人の一割にもなります。それだけの聖書のお言葉が蒔かれています。素晴らしいことです。




 四丁目時代には会堂いっぱいの子どもたちが日曜学校に来ていました。




 「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。歳を重ねることに喜びはないと言う年齢にならないうちに。」




 いま、こひつじ園には卒園した人が親になって自分の子どもを同じ園に預けています。こひつじ2世が多くなってきました。




 教会も創立20年になろうとしています。水郷めぐみ教会2世がこれから増えてくることを期待しています。







 先日、日の出バプテスト教会の小野先生と幼児伝道について話し合う時がありました。




 バプテスト教会では教団の中に「幼児伝道」部門が設けられ教団として幼児伝道に祈りを捧げ力を注いでいるとのことでした。日本基督教団でも教団として幼児伝道をすすめています。




 そして園で働いている職員に対してもキリスト教育の大切さを教え学ぶ機会を教団が設けています。ですから職員の中から信仰を持つ人も出てきます。




 しかし福音派といわれるホーリネス教団では幼児伝道を教団として進めていません。幼児伝道の重要性を理解していますが、それは牧師個人で、あるいは使命のある人でしてくださいと言う姿です。




 今、幼児伝道・教育を教団として進めている教会は幼児、青少年が多く導かれています。これらの教団は着実な証をし伝道が進んでいます。




 幼児伝道、教育はイエス様がとても大切にされていました。私はイエス様のお心を受けてもっと幼児の働きを前向きに受け止めていくべきではないかと祈っています。




 しかしホーリネス教団には最近変化が現れてきています。少子高齢化社会になり教団が高齢者に対する働きのことを取り上げるようになって来ました。高齢者施設に牧師を派遣するようになりました。聖書学院の講演に高齢者施設で働いている人を講師に迎えるようになりました。




 「祈りと御言葉だけ」と言っていた教団にとっては大きな変化です。高齢者施設も伝道の中に受け入れ始めたのです。




 2千年前の時代はそんなに多くの高齢者はいませんでした。しかし一番多くいたのは幼子です。まずその幼子からイエス様の愛を学ぶことが大事かなと思います。その働きに当たる人は大切な伝道をしていることになります。




 ここにも私たちは幼児に対して柔和なそして謙遜な信仰が求められています。幼児から高齢者まで全てが神様の愛の対象です。生まれてきた命には全て福音を伝える使命があります。




 水郷めぐみ教会は小羊保育園の存在から始められました。牧師家族3人で始まった水郷めぐみ教会には保育園の在園生、卒園生、そして保護者の協力がバックにありました。




 伝道の出発は生まれた子どもたちが第一歩です。







 今年の夏は天候が一定していません。雨の少なかった梅雨が明けたと思ったら6月下旬から7月の始めは猛暑続きでした。連日35度前後の暑さが続きましたが台風6号が過ぎ去った後は一気に5月ごろの気温になってしまいました。




 暑さになれた身体に涼しさは対応が難しかったです。しかしバイブルキャンプが終わった頃から再び太平洋高気圧が強まり今は猛烈な暑さが続いています。




 自然の流れは人間に都合が良いほうへと進むわけではありません。私たちの生活を天候の変化に適応していくのが大切です。




 この時期心配なのは幼いこひつじ園児たちの体調管理です。今は全ての保育室にはエアコンが整備されています。ですから暑さ寒さから開放できるのですが課題はエアコンの使い方です。




 一応の温度の設定はしてありますがこれはあくまでも目安です。外気温、子ども達の状態等を見ながら上手にエアコンを使うことが求められています。




 これは教会のエアコンでも同じです。今年は原発事故で電力が不足しています。先進国の日本を支えてきたのは豊富にある電力でした。今、電力が不足し企業が外国へと工場を移転させています。




 昔は外国から日本へと企業が進んできていました。大きな変化が起きています。これから日本はどうなるのか不安が広がっています。




 このような時、私たちキリスト教会はどうあるべきなのか。祈り、考えさせられます。




 大震災においてのキリスト教会の働きはどうでしょうか。各教団が独自の働きをしています。しかしいまいちその働きが大きくなりません。キリスト教会が大きくなって力を発揮するには日本の教会がまとまる必要があります。




 各教団が独自性を現すのは悪いことではありません。しかし今回のような大きな災害にはキリスト教会が一つにまとまっていくことが大きな力となっていくのです。そのためにはもっと柔らかな考えと謙遜な信仰を身に付けることが大事と思います。




 ましてや一つの教会の中でこうでなければならないと考えを固めてしまうことは主に喜ばれることではありません。




 私たちの目的とすることは自分の考えで進めるのでなく主イエス様の御心を実現することです。そのために私たちには柔和と謙遜が求められるのです。







 わたし達の教会はこの夏、素晴らしい恵みの経験をしました。東京聖書学院から伝道チームが派遣されてきたことです。




 わずか10日間でしたが一生懸命に、また喜んで楽しそうに奉仕をしてくれました。特に修養生は水郷めぐみ教会キャンプに子ども達が26人も参加していることに驚いていました。




 私たちにとってはいつものことですが外部の目から見て、そして各教会を知っている修養生たちにとっては驚きのことでした。それもこんな田舎の教会でと。




 そして2日間でしたがトラクト配布もしてくださいました。私たちも修養生たちの純真な信仰、素直で明るい信仰に触れてよい恵みの時となりました。




 私自身も40年前の修養生時代を思い出しました。わたし達の時代は同級生がほとんど20代の若さでしたので派遣先の教会で言われたことは何でも「はい。」と一つ返事で行いました。




 時代はあれから40年、今の修養生の平均年齢はだいぶ上がっています。でも信仰は40年前と変わらず純真さと謙遜の素晴らしさは身に付けています。




 今の聖書学院には社会生活を長くしてきた方、勤めた会社を定年退職して学院に入った方が多くいます。しかしこの人たちはみんな素直に喜んで奉仕をしています。




 チームの皆も神様の奉仕が嬉しくて仕方ないようでした。東京近郊の教会は毎週このような修養生が日曜日に奉仕に来てくれています。教会の力となっています。出来れば毎日曜日に水郷めぐみ教会にも来ていただきたいですね。




 外部の信仰者と交わるのは私たちが気がつかなかった恵みにあるいは忘れてしまった恵みに気がつくようにしてくれます。




 この修養生たちの大きな原動力となっているのは聖書の召命お言葉です。聖書のお言葉は神様の言葉です。私たちも聖書を読んでいくと神様の大きな恵みに触れることが出来ます。




 神様はキリスト者それぞれに召命を与えておられます。ある人には牧師として、ある人には信徒としてそれぞれの働きが委ねられています。あなたには何が委ねられているでしょうか。


7月







 雨の少なかった梅雨が明けたとたん、照りつける強烈な猛暑が現れた今年の夏。




 7月2,3日と水郷聖会。16日は「こひつじ祭り」ここには地域の方々が約500名来てくださいました。十字架が高くそびえている会場に来られたことは証になったと信じています。




 そして26日~28日まで小学生26名、大人10名でバイブルキャンプが行われました。神様はここにも助け手を送ってくださり恵みのキャンプを持つことが出来ました。




 潮来市は7月1日現で人口が30、093人になってしまいました。牛堀町と合併し潮来市になった時は32,339人いました。人口が減少することは寂しいことです。教会も集まる人が少なくなるのは寂しいものです。しかし神様は私たちの教会を祝してくださって7月に大きな恵みを与えてくださいました。




 日本中の教会は何とかして一人でも多くの人を教会にと祈り頑張っています。




 キャンプは毎年茨城教区主催で行っていましたが今年は地震があり他の教会は参加しない、行うなら水郷めぐみ教会だけでしてくださいとなりました。潮来でも被害を受けていますがここで地震に負けるようであってはならないと示されました。




 とにかく単独でもキャンプをしようと立ちました。しかし心配は色々ありました。参加する子どもがあるだろうか、奉仕者がいるだろうか。




 皆さんに30名の参加者が与えられるように祈ってもらいました。26名与えられました。感謝です。大人の奉仕者も10名になりました。これは大きな感謝です。




 神様は必要な時に必要なものを与えてくださるお方です。




 来年中学生になる男の子が来年も参加したい、中学生でも参加できるかと、聞きに来ました。中学生だと奉仕をしてもらうよと答えると、嬉しそうに「うん、するよ」との返事。




 カウンセリングしていた時「大人になったらおじいちゃんのような仕事をしたい」と答えてくれた孫のことばに胸が篤くなる思いがしました。




 イエス様は幼子に福音が伝えられたことを知った時「聖霊によって喜び溢れた」(ルカ10:21)と書いてあります。私も喜びにあふれました。











 昨日、私たちの教会に東京聖書学院から2人の修養生(神学生とも言います)が来てくださいました。




 普通なら派遣されることはないのですが今回の大地震被災県にある教会ということで、茨城県では鉾田と水郷めぐみ教会に派遣されました。




 私の36年の牧師生活で夏に神学生を迎えたことは何回か経験があります。チームを迎えるのは2回目です。




 迎えるに当たって不安もありましたが我が愛する妻、和子先生は学院時代に4人のチームで2ヶ月間沖縄に行った経験があり、また我が息子もチームで南東の島々に行った経験があります。




 聖書学院で学んでいる人は将来牧師になるために神様の召しを受けた人たちです。全ての生活が牧師へとなるためのものです。




 しかし牧師と言っても聖人になるわけではありません。この現実の社会に対して神様を証しし神様の恵みと救いを伝えるのです。教会の牧師が一つの見本となります。ですから毎週日曜日には色々な教会に派遣されて多くの経験をします。




 私も学院時代はそうでした。まだ20代の若さで何でも出来る青春時代でした。いわれたことは牧師先生のお子さんの幼稚園の送迎でも、赤ちゃんの入浴までもしました。全てが牧師となるため神様が与えてくださった経験として受け止めました。




 もう一つ学院生への期待もあります。学院生から信仰を学ぶことが出来ることです。神様からの召しをいただいて牧師になる決心をする為には相当の信仰と決心があったと思います。そこには神様への従順と謙遜があります。教会はそのことを学びましょう。




 10日間と言う短い期間ですがお互いによい経験をさせていただけたら素晴らしい夏になると思います。




 大震災で私たちの教会自体は大きな被害を受けることはありませんでした。しかし今回キャンプに参加する生徒には日の出地区から来る者もいます。このような状況でお子さんをキャンプに送ってくださった保護者に私は励まされました。




 それと同時に神様の慰めがキャンプ参加者の家庭にそして生徒に豊かに注がれるよう祈ります。皆さんもお祈りください。2人の学院生の皆さん、この10日間楽しくお過ごしください。そして神様と深く交わる時を得てください。







 今月号、日本ホーリネス教団機関誌「りばいばる」に東北編が取り上げられています。




1ページを用いて青森県三沢教会が取り上げられています。教会は保育園と切っても切れない関係にあると書いてあります。




当初、保育園を始めたころ「子どもばかり集めて、、、。」との批判的な声があったけれども今、卒園生の中から教会に来る人が増えてきていると、三沢教会の牧師先生が書いています。




私も以前「保育園の子どもばかり集めて。」との言葉が投げかけられました。しかし保育園の子どもでも神様から見たら同じ子どもたちです。今でもその考えは変わりません。




今、感謝なことに水郷めぐみ教会は幼児教育、幼児伝道に理解があります。そもそも水郷めぐみ教会の始まりも保育園抜きにして語れません。「子どもを大切にする教会」がめぐみ教会のモットーです。




保育園が「こども園」になってから規模が大きくなりました。地域への子育て支援が機能しています。月に2回未入園児のお子さんが保護者と一緒に園に来ます。毎回15組以上で30名を超えます。




これらの方々は「こひつじ園」がキリスト教であることを理解して来ています。ですからお祈りにも心を合わせてくださっています。




私の祈りはこれらの方々に福音を伝えられるようになることです。




はじめは直接的でなく福音を間接的に伝えられたらな~と、考え祈っています。




昨日は「こひつじ祭り」がありました。500名近くの方々が来てくださり盛況でした。茨城県の ある教会では「教会まつり」をしています。教会は楽しい所と受け止めてもらい教会に気安い思いで地域の方々に案内する目的もあると聞きました。




伝道は人間に対して行うものです。一人ひとりの魂の大切さがあります。それと同時に「全ての造られた者に福音を伝えよ」とのイエス様のお言葉もあります。伝道はこうでなければいけないと言っていると、いつの間にか神様の御心が分からなくなってしまいます。




教会にはそれぞれの伝道方法があります。三沢教会は保育園が伝道の基盤になっていると書いてありました。




私たちには幼稚園、保育園があります。私たちも与えられた環境を生かした伝道を進めて行きたいものです






 一日一日が早く過ぎていきます。時間は止まりません。何もしないうちに一日が終わってしまうような気がします。けれど時間が進んでいるのは確実です。




一週間あれば夏野菜が大きくなります。緑のカーテンがよいと言われて植えたゴーヤの苗も毎日伸びていて今では2メーター以上にもなっています。早く一面ふさがるのを楽しみにして水かけをしています。




子供も毎日大きくなっています。一日の時間は大きな変化をもたらします。




今年の梅雨は雨が少なかったです。ですから毎日野菜や植木に水かけをしています。水をもらった植物は毎日どんどん大きくなり姿を変え、野菜は美味しい食べ物を実らせてくれます。




一週間という時間は尊いものと感じます。しかし人間は確実に老化に向かっています。それはもうすぐ満64歳になる私のことです。




よくもここまで生きてこれたなと思います。先週は60歳で亡くなった方の葬儀に行きました。私の同級生にも60歳で亡くなる人がいます。男は60歳が一つの転機かなと思います。




先日の水郷聖会の講師はお二人とも70歳を超えていました。元気に説教していました。




先日もうすぐ80歳になる私の恩師が癌の手術をしました。東京聖書学院入学して初めてお会いしました。それ以来今日まで何かと心にかけてくださいました。




先生は学識も説教も豊かな先生です。とても活躍した先生です。第一線を退かれた教会は娘夫婦が主任牧師として受け継いでいます。私と15歳年が違います。ですから元気でいても私はあと10年、赦されるなら15年かなと考えたりして自分を慰めています。




水郷めぐみ教会が生まれたのが1993年ですからもうすぐ20年になります。牧師夫婦と高校1年生の娘3人で始まりました。あれから20年経とうとしています。




20年前には想像もつかなかった神様のめぐみを頂きました。神様から与えられた子ども二人も結婚し孫が3人与えられています。省みれば全てが恵みです。




神様は無駄に時間を過ごさせていません。昨日よりも今日、今日よりも明日と恵みを与えなさいます。私が定年になる頃、教会はどのような姿になっているか楽しみです。




日々の生活に変化を感じなくとも神様は確実に恵みの中に時間を進めておられます。主に感謝します。






 7月より節電対策が始まりました。日本全体においてです。昨年より15パーセントの節電が求められています。これは今までなかったことです。初めての経験です。




 私たちの教会でも例外ではありません。幸いに水郷めぐみ教会堂は設計段階より省エネルギーに心を配った構造を求めていました。これは既に皆さんが承知していることです。




 冬、礼拝に会堂を暖めています。私が家に帰る時全部のスイッチを切って帰ります。外は氷点下になっています。でも翌朝教会堂に入ると前日の暖かさがまだ残っています。




 夏でも同じです。冷やした空気は翌朝まで残っています。(ただし二階は40度を超えています。)それでも昨年同時期より15パーセントの節電は求められます。




 電球を代えるかあるいはまめに電気を消すのだ大事でしょう。使わない電気は消す。私たちはあまりにも電気を使い過ぎていたと思います。




 今、高速バスで東京から潮来に帰ってくる時、高速道路の外灯が消されています。なれないと暗いなーと感じますが慣れてしまうとこんなものかと思うようになります。




 わたしは暑さに強い(反対に寒さには弱い)ので昨年の夜でもエアコンをつけたのは4,5回しかありませんでした。夜はなるべく早く寝て朝日の出と共に起きてすがすがしい時に聖書を読むようにしています。今が一年でも一番聖書を読むに適しているのではないでしょうか。




 暑い夜は早く寝て涼しい時に早起きするのは節電にも効果的でしょう。こんなことを書くと「先生は高齢者になった証拠ですね。」と言われますがそうではありません。聖書を開くとイエス様はまだ朝、暗い時に起きて寂しいところに行き、祈られたと何回も書かれています。




 節電のこの時こそ私たちは朝型に生活スタイルを改めてみてはと思います。




 信仰の喜びは聖書のお言葉が神の声として自分に迫ってきた時に感じます。朝、布団の上でごろごろしているとアットいう間に過ぎてしまいます。でも起き出すと気持ちがいいです。




 教会の電気代は貴重な献金でまかなわれています。必要な時は使わなければなりませんが、必要でない時はまめに消すようにしましょう。それと同時に暑さ対策を考えてなるべく節電生活を皆で気をつけて行きたいものです。


6月






 T兄、Y姉、結婚おめでとうございます。私たちの教会に新しいクリスチャンホームが生まれました。大変喜ばしいことです。




 イエス様を信じ罪赦されて洗礼をうける人が与えられること、キリスト者同士が結婚してクリスチャンホームを作ることは教会のそして我々の大きな喜びです。神様がここまで導いてくださったことに感謝します。




 私は20歳の時イエス様を信じました。26歳で結婚し、二人の子供が与えられました。祈ることは子供たちが信仰の継承者として育って欲しいことです。感謝なことに二人とも信仰を持ちました。




 長女は結婚しクリスチャンホームを形成し家族5人で礼拝に来ています。孫たちも素直にお祈りします。信仰が受け継がれていることを嬉しく思います。




 そして長男が結婚しました。長男は信仰を次の時代に継承できるようにと長い間祈っていました。信仰の継承はとても大切なことです。




 若きテモテはおばあさんから、お母さんからと信仰が引き継がれていきました。(テモテの手紙第二1:5)こんなに素晴らしい神様のめぐみを受けた人は誰よりも家族に子どもにも経験して欲しいと思います。




 家族みんなで教会に来れることは麗しいことです。イエス様が最も望んでおられることです。




 日本の教会の歴史はまだ短いです。その為か教会にはキリスト者一世が多いです。諸外国の礼拝は家族全員で参加することが多いです。そして信仰がその家で大切に守られてきています。




 信仰の家族への継承は大きな伝道です。今、私たちの教会にもキリスト者二世が数名います。これは信仰の継承がなされている大きな証です。




 日本教会の高齢化、日本社会の少子高齢化は大きな課題です。午後の親子礼拝があります。この子どもたちにも信仰を伝えていくことは大きな伝道の働きです。お母さんたちは一生懸命に子どもたちと共に礼拝の来ています。




 5年、10年は瞬く間に過ぎていきます。そしてやがてその中からもクリスチャンホームが生まれます。信仰の継承は大事な祈りです。若い新クリスチャンカップルが誕生したことを心から感謝しお祝いします。






 昨今、こひつじ園に1歳未満児が数名来ています。その中に私たちの3番目の孫も入っています。道輝といいます。




 私が時々保育室に行くと他の子どもは驚いた顔をします。今にも泣き出しそうな子もいます。しかし道輝だけは泣きません。私の顔を見るとにこっと笑います。その笑顔が何ともいえない可愛さをかもし出します。




 6ヶ月になり目も見えるようになりました。耳も聞こえるようになりました。私を自分の味方(おじいちゃん)と判断が出来るのでしょう。子どもの笑顔には心癒されます。




 イエス様の周囲に来た子どもたち、親に抱かれてきた赤ちゃんたちもイエス様を見てきっと笑顔になったのではないかと想像します。




 笑顔には相手を信頼する気持ちが含まれています。信頼できない人には作り笑いしか出来ません。信頼は顔に、特に目に表れることが多いです。




 先日地元の小学校と民生員児童委員との懇談会がありました。学校から生徒の現状が話されました。生徒の中には笑わない子がいると話されました。そこには親子の間に断絶がある。愛情不足があることが原因と話されました。




 私たちの笑顔の基本は神様に愛されているとの信頼関係です。神様に笑顔を向けることが出来ます。それは他の人に対しても笑顔で接することが出来ます。大きな証になります。




 ペンテコステのとき聖霊に満たされた120名は「新しい酒に酔っている」と見られました。彼らの顔には喜びが浮かんでいたのでしょう。




 今、日本は大きな試練の中にあります。政治家は自分達の選挙のことを第一に考え、国のことは第二になっています。そんな政治家を信頼する人は多くありません。ですから日本は暗くなっています。(節電だけのことではありません)




 神様に対する信頼関係が一番です。笑顔になった私たちを神様はとても喜んでくださいます。




 和子先生は「孫の笑顔は癒しです。」と話しています。教会に笑顔が満ちたら癒しの教会になるでしょう。私たちの教会にもうすぐクリスチャンホームが誕生します。笑顔で迎えてあげましょう。






 先週は、和子先生の礼拝メッセージでした。私はこの時、自由な一日を過ごさせていただいています。




 昨年は神奈川県大和市大和カルバリー教会の礼拝に参加させていただきました。今年は静岡県三島市にある教会に行きました。信徒の立場で礼拝出席をするつもりでしたが教会の先生から是非メッセージをしてくださいと言われ説教をしました。




 三島には東京から新幹線で約一時間です。富士山の近くにあり30分も車で走ると箱根に、そして十国峠にと観光名所が近くにあります。




 富士山からの湧き水があり教会から5メートル先にはきれいな水が流れ、なんとかわせみがやってくる清流です。人口約15万人の市です。礼拝は40名前後の方々が集っています。




 説教にたいしてとても反応がよく笑いあり、アーメンと応えありで話しやすい教会でした。説教は会衆と牧師の共同作業といわれていることが実際行われている教会でした。




 私は年に一度くらいは牧師が教会を離れ、自由な立場で他の教会に行くこともいいのではと思っています。そこには自分が奉仕している教会とは違った姿、恵みを見ることが出来ます。ですから牧師にとっては良い経験になります。




 ある教区では年に一回、全教会牧師が他の教会に移動して説教するところもあります。これも牧師にとっても信徒にとっても恵みのときになります。




 日本の教会は小さい狭い世界です。信仰の受け止め方も狭くなりがちです。神様の恵みは大きく深く広くあります。素直な気持ちを持ってその教会に与えられている神様の恵みを拝見させていただきました。




 私たちは素晴らしい恵みの経験を求め続けていくことも必要でしょう。そして水郷めぐみ教会が被災に遇い、心痛めている人たちの慰めになれる教会でありたいと思います。




 ここにくると安らぎが得られる。ここに来ると自分は愛されていることが分かる。ここに来ると楽しくなる。また教会に来て見ようとの恵みを証し出来る教会になりたいですね。




 そのために私たちが見つめるお方は私たちを愛し、受け入れ、私たちの罪の身代わりとなって十字架にまで架かってくださったイエス様です。イエス様は今日も私たちに語りかけています。「私はあなたを愛しているよ」と。






 昨年4月から東京に行き、牧会塾に参加しています。塾ですから勉強するところです。説教塾もあります。




 では、牧会塾は何を学ぶのか。当初、私も理解がいまいちでした。何回か参加しているうちに段々と目指すものが見えてきました。




 牧師が自分自身に「気をつける」(Ⅰテモテ4:16)です。自らを見つめなおすことをするのです。




 牧師には多くの期待が寄せられています。ありがたいことですが、牧師は何でも出来て当たり前。出来ないと「あれでも牧師か。」との批判を恐れて一生懸命に頑張る。しかし、それが果たしてイエス様の御心なのか。人に対して何かをする前に自分自身を見つめなおそう、聖書のお言葉によって本当の神様の恵みを理解しようとするのが牧会塾の学びと分かってきました。




 日本のキリスト者は何か社会に、他の人に対して良いことをしてあげようとの気持ちが強いです。それが出来ないと自分の信仰は弱いと自分自身を責める傾向があります。




 先週の牧会塾でお言葉を黙想する時間が与えられました。これは、牧会塾で大切な位置を占めています。




 そこで与えられた聖書箇所はルカ10:17から20でした。70人の弟子たちは自分達に与えられたイエス様の権威によって沢山のことが出来た喜びをイエス様に報告しています。




 その時、イエス様は一番の喜びは何かが出来ることよりもただあなた方の名が天に書きしるされていることを喜びなさいと言われました。何かが出来るようになったことよりも自分の名前が天に書かれていることのほうがもっと大きな喜びですと語られました。




 私たちはそれぞれ神様から才能を与えられています。それを駆使できることは嬉しいことです。でも、何かが出来ることよりも大事にすることは名前が天に書かれていることだと言われました。




 私たちは人に認められることも誰かに何かをしてあげることも大事ですが、天に自分の名前が記されていることのほうがもっと大きな喜びとして受け止めなさいとイエス様は言われたのです。




 まず自分がそのように神の愛の中に生きられることを喜びとしましょう。


5月






 今年の教会総会で話し合われたことに、午後の親子礼拝の位置づけを第二礼拝とすることが決められました。




 午前の礼拝と午後の礼拝を同じものとして教会が決めました。これは水郷めぐみ教会の信仰です。




 私たち夫婦が19年前、水郷めぐみ教会を始めたときに神様から与えられた信仰は「幼子を大切にする教会」です。




 教会によっては幼子を受け止める思いが様々です。子どもはまだ小さいから、子どもは大人の礼拝を邪魔してはいけないなどです。そのために子どもの集会は礼拝でなく「日曜学校」とか「教会学校」と名前をつけ別扱いにします。




 子どもは一人前の人間として受け入れていただけないのです。ですから子どもの集まりは「礼拝」でなく別物として長く教会で受け止められてきました。




 その結果だんだんと子供たちが教会から離れていきました。それに礼拝人数の中に子どもはカウントされません。




 礼拝とは何でしょうか。そこに存在する神様を賛美し、お言葉を聴く事です。そして感謝の祈りをすることです。これは大人だけでなく幼子の集会でもしています。保育園、幼稚園でも礼拝の時があります。




 潮来市の広報に5月1日現在の人口が載っています。30,108人です。この中には生まれたばかりの赤ちゃんも数えられています。潮来市では人口に年齢差別をつけていません。全てが市民なのです。児童憲章に「児童は人間として尊ばれる。」とあります。




 水郷めぐみ教会は幼子であっても大人であっても差別しません。同じように接していきます。しかし聖書から見るとイエス様は子どもを大人以上に大切にされていることを見ることが出来ます。(参照マルコ福音書10:13~等)




 日本教会の課題に高齢化があります。昔、若くして信仰熱心な人が高齢者になってきました。しかし若い人が教会に来なくなってきている。教会で幼児も児童も一人前の人間として一人ひとりを大切にするならこども達は教会が好きになります。




 子どもは元気があります。じっとしていることが苦手です。その子どもたちに仕えることはイエス様の喜びとするところです。






 今、私たち夫婦に孫が3人います。三番目は昨年12月31日誕生です。一番上は今年から小学生。入学当初張り切っていた分、少し疲れが出てきているようです。




 「学校楽しい」と聞くと「楽しいよ」。「何が楽しいの」と聞くと「お弁当の時間、昼休み時間」と応えてくれました。今は聞かないようにしています。




 二番目は女の子。三歳になり幼稚園さんと一緒に保育を受けています。私が園の礼拝で話をすると不思議そうな顔で聴いています。三歳になってからだいぶ頭の回転が速くなり今まで聞いたこともない色々なことを次々に話します。




 教会で会堂掃除のご奉仕が出来るようになりました。終わった後「じいちゃんかけっこしよう。」と誘いに来ます。裏山までかけるのですがもう負けてしまいます。




 三番目は道輝くん。お母さんの仕事の都合で5月からこひつじ園に来ています。5ヶ月になり目も見えるようになりました。少しずつ顔の識別と声を聞き分けられるようになって来ました。話しかけると笑うようになりました。




 赤ちゃんの笑いは私にとってとても素敵に見えます。癒しを受けるひと時です。このままおじいさんとして孫と一緒にいたいなと笑顔を見るたびに思います。




 一昔前でしたら64歳になった人は孫の面倒を見るのが大きな仕事でした。少しでも孫たちに良い環境の中で育って欲しいと願っています。




 今、私が考える良い環境とは優しく語りかけてあげることとです。そうすると笑顔で返答します。笑顔は大人でも大事です。イエス様が「神の国とはこのような者の国である。」と言われた言葉がよみがえります。




 娘家庭がクリスチャンホームになり孫が生まれ、長男がクリスチャンとの結婚が決まり新しいクリスチャンホームが生まれます。




 22歳の時、聖書と布団を持って親の激しい反対の中、聖書学院に入学しました。あれから42年、神様は素晴らしいプレゼントを私たち夫婦にくださいました。これは何よりの恵みです。




 「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」聖書のお言葉は真実です。信仰生活には色々な出来事があります。しかし神様を信じ生きることは素晴らしいことです。感謝です。






 先週、金曜日お茶の水に行きました。牧会塾での学びです。会場はお茶の水キリスト教センター(CLC)でなく近くにある御茶ノ水キリスト教会です。8階の大きなビルの中にあります。




 教会入り口の案内板に「私はあなたを愛している。私の目にあなたは尊い」のお言葉が掲示されてありました。この言葉は多くの教会で最近よく引用されています。




 そこにはありのままの姿を神様は愛してくださるとの意味があります。私たちがありのままの状態で愛されていることを知ることは以前はあまり強調されていませんでした。




 これまでは「私は道であり、真理であり、命です」「あなた方は世の光です。地の塩です」のような言葉の引用が多くあったと思います。




 確かに神様は罪人の私たちを罪の中にあるときから愛されていることは真理です。神の愛を受けることは無条件です。しかし愛してくださる神様には大きな行為がありました。それは神の一人子イエス・キリストを十字架に磔(はりつけ)にされたことです。




 罪のないお方が十字架で罪人として死の苦しみを受けたことによって神様の愛は成り立っているのです。私たちは無条件で愛され神様に受け入れられていますが、神様の支払われた大きな犠牲のゆえにあることが分かります。




 私たちを愛するために神様が行われた犠牲を知った時その人は神様を愛するようになります。そして神様のために何かしたくなります。




 生活が神様に喜んでいただくように変わっていくのです。そのようにして神様の愛と私たちとの関係が築かれていくのです。




 水郷めぐみ教会は神様が愛している教会です。私たちはその愛に甘んじることなく神様に喜ばれる教会を目指していきます。ですから信仰が受身でなく能動的になります。




 今、日本の多くの教会は受身的になり能動的な面が薄れています。奉仕をするのに疲れを覚えるのです。以前の教会と今の教会のあり方に変化が見えてきています。




 東日本大震災で甚大な被害を受けた人たちの姿が毎日のように報道されています。最近被害を受けた人たちに変化が起こっています。「今までのように援助を受けるだけでなく自分たちでも出来ることから始めていこう」と言っています。素晴らしい姿に感動を覚えました。






 今年の冬は気象庁の予想と違い寒い冬でした。寒さも和らいできた3月には千年に一度と言われる大地震と津波、そして原発事故による放射線漏れと言う三つの災害が起こりました。




 私たちはそれぞれ被害を受けています。しかし季節はいつもと同じように廻ります。




 今日は5月第二日曜日です。連休もこどもの日も終わりました。野山の木々は今年も例年と同じように新芽を出しています。教会から見える丘は緑がきれいになりました。




 ホームセンターには野菜苗を買い求めに来ている人が沢山います。私も園の菜園に今年も野菜を植え種を蒔きました。そしてこれからサツマイモを植えます。毎日大きくなっていくのを見るのが楽しみです。




 自然の営みは素晴らしいものがあります。人間の力ではどうすることも出来ない力です。私たちはこの恵みに感謝しながら生きています。




 聖書には「神様は良い人にも悪い人にも同じように雨を降らせ太陽を上らせてくださいます」と書いてあります。




 人間は歳を重ねていけば段々と体力が衰えていきます。そして命の終わりを迎えます。しかし私たちの命は次の世代に受け継がれていきます。私も親から命を頂きました。その親はもういません。受け継いだ命は子どもに、そして孫にと引き継がれました。




 若い命は新芽のように生き生きとしています。若い命を見ると私たちは気持ちに張りが出てきます。生きることは楽しいことばかりではありません。苦しいことも悲しいこともあります。それが人間の生き方です。




 でも地球は回ります。その動きには少しのくるいもありません。ですから季節は同じように廻ってくるのです。




 キリスト教は進化論でなく創造論に立っています。神様が全てを造ってくださったと信じるのが創造論です。人間も神様によって造られました。




 私はこの季節になると神様の創造の働きはなんと素晴らしいだろうかと思います。散歩しながら大きく深呼吸をします。






 以前来られた中野雄一先生が「坂には三つの坂がある。上り坂、下り坂、そしてまさか」と、語られていました。




 今回の東日本大震災はその「まさか」でした。別な言葉で「想定外」と語られていました。




 あの大震災の経験は私たちの心から消えることがありません。何人かのクリスチャンは「再臨」かと一瞬思ったそうです。確かに聖書には再臨のしるしとして地震があげられています。しかし再臨の時は天使のラッパの音が全世界に響き渡るとありますから自然災害と再臨の区別が出来ます。(参照マタイ24:29~)




 再臨はこの世が全く新しく作り変えられるときです。天地に大きな異変が起こります。主イエス様が真の王として君臨されるのです。そして新しい世界が造られるのです。




 その時聖書を読んでいる人には「まさか」とか「想定外」のことが起こったと言うことは出来ません。再臨は聖書の確かな約束ですから私たちはそれに対して備えをする必要があるのです。




 どんな備えが必要なのでしょうか。マルチン・ルターは「私はいつものように朝起きて聖書を読み、お祈りをし、いつものように与えられている仕事をこなすだけです」と言っています。




 非常用食品を揃えるとか耐震度を強化するのでなく、クリスチャンとして当たり前のことを当たり前にすることが再臨に対する備えと言うのです。




 イエス様は「天地は滅びるが、私の言葉(聖書)は決して滅びることがない」と言われました。




 震災後初めて東京に行きました。3・11に東京では帰宅難民が百万人以上あったといわれています。小さいときから地震が一番怖かった私には地震は不安でした。その不安を取り除いてくれるのが「お言葉・聖書」です。




 主イエス様の再臨のとき一人でも多くの方々が栄光の天に導き上げられるように伝道するのが備えのひとつでもあります。




 まず家族が、親しい友が一人でも多くキリスト者への道へと導かれることを祈り伝道しましょう。伝道は私たち一人ひとりがするものです。神様は私たちが伝道することを望んでおられます。




 今日も明日も聖書を読み祈りをしていきましょう。伝道はまず聖書のお言葉を伝えることから始まります。そのために私たちが聖書を読み聖書に生きることが大切なのです。


4月






 昨年の夏は猛暑でした。今年の冬は寒さが厳しい冬でした。3月11日は経験したことの無い大きな地震に見舞われました。そして海岸の町々は壊滅的な被害を受けました。




 潮来でも日の出地区(約2500世帯)が液状化現象になり大きな被害を受けました。これらは私たちの記憶から消えることは無いと思います。特に幼子たちの心に大きな不安と怖さをもたらしてしまいました。




 保育園、幼稚園にはそのような経験をした子どもたちがいます。私たちはそのような小さな子どもの気持ちに寄り添って行くのが大切と思っています。




 園に来た時くらいは怖いことを忘れて楽しく愉快に過ごして欲しいと心がけています。




 時はどんなことがあっても流れています。寒かった冬もようやく終わりを告げてきました。さくらも咲き終わり、木々には新緑の芽が希望をもたらすかのように今年も出てきました。




 もうすぐ5月、太陽の力はだんだんと強くなり青空がきれいになってきました。青空と木々の新緑、そこに泳ぐこいのぼりは青とみどりとあいまって私たちをすがすがしい気持ちにさせてくれます。




 男の子はこいのぼりが好きです。昔の人はこいのぼりのように優雅に大きく育って欲しいと願ってこいのぼりを作ったのではないかと思います。




 この東日本大震災はとても大きな犠牲を私たちにもたらしました。潮来市も被災町になっています。道路が隆起して波打ち、電柱がことごとく斜めになり地中に埋めてあるライフラインはずたずたに切断されてしまいました。住宅も地面に沈んだり斜めになってしまったりしています。




 しかし、命溢れる季節が今年も来ました。空はどこまでも澄み切っています。種を蒔けば芽が出ます。




 今はとっても苦しく悲しい時です。将来が見えないような苦難の時です。キリスト教会を代表する聖パウロも多くの苦難の難に遭遇しました。その経験を通って来てこのように書いています。




「苦難は忍耐を生み、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と。




 希望を持てるのは人間だけです。私たちは希望を持って生きられるのです。なぜなら人間は神様にそのように創られたからです。




 希望の中で一番の希望は死からのよみがえりです。そこに希望の原点があります。今日はイースターです。






 今日、私は仙台にいます。姪の葬儀に出席するためです。イエス様のお気持ちを考えています。イエス様ならどうするのだろうかと。




 イエス様ご一同は旅を続けていた時、ナインの町に入られました。(ルカ7:11~)そこに葬儀の列がありました。イエス様はその時通り過ぎることをしませんでした。憐れに思っただけでなく旅を中止して息子を亡くした母親を慰められたのです。憐れみの思いを行動に移して母親を慰められました。




 思えば姪が結婚式を挙げたのも日曜日でした。キリスト教式でした。結婚後、松島に住みました。一度遊びに来てくださいと言われていたので日本三景の松島にいつかは行って見たいなと思っていました。




 今回の大津波で死者と行方不明者を合わせると2万8千人を超えるといわれています。何と大きな人数でしょうか。潮来市全体の人口が一瞬にして亡くなったと同じです。そしてまだ半数近くの人が発見されていないといいます。




 身内を亡くしその姿が分からないと言うことは痛ましいことです。多くの方が毎日求めて探し歩いています。




 今年初めニュージーランドで地震が起こりました。語学研修で行っていた日本人約30名近くの人が行方不明になり大きくニュースで取り上げらました。連日現場がテレビで報道されました。悲しみに浸っている家族の姿が映し出されました。遺族の気持ちはどこでも同じです。




 今回の東日本大震災は日本半分を巻き込みました。それだけ悲しみに沈んでいる方々が多くおられるということです。




 昨日、こひつじ園の保護者会総会で私はローマの信徒への手紙5:1~5を読み祈りをしました。苦難が書かれています。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生みます。そしてやがて苦難をも誇りとすることが出来るようになると読みました。




 今、被災者の方々(潮来を含めて)は苦難の中にいます。そして忍耐をしています。聖書は今の苦難は決して無駄になることはないと言っています。




 あのような被害の中で希望を持つことは並大抵なことではないと思います。しかし人間だけが希望を持つことが出来るのです。神から与えられた希望は私たちを欺くことがありません。苦難の中にも希望があるのです。






「救援物資」この言葉は毎日何回も聞いたり耳にしたりしています。




 地震当初、東海地方のある牧師先生が私に食料を郵便で送ってくれました。とても嬉しかったです。こひつじ園に全国私立幼稚園連合会から飲料水が100リットル以上送られてきました。幼稚園3年目ですがこんな対応をしてくれるのかと驚きと同時に感謝が溢れました。




 物資を送るには購入する資金が必要です。今、各地で「義援金」が募られています。これから被災地ではお金が復興のため必要です。日本中で義援金が集められています。必要なことです。




 保育園でも幼稚園でも全国的に義援金を募っています。こひつじ園でも職員一同の協力を頂いて先日送らせてもらいました。




 3月の地震の後、園に簡易トイレを入れました。子どもたちも職員も使いました。そして普通の水洗トイレと簡易トイレの違いを経験しました。子どもたちにとってはよい経験をしたと思います。




 私の中学生のころまではトイレは汲み取り、そして新聞紙を四角に切って使っていました。お風呂は井戸水をバケツに入れて風呂桶に運び、マキを燃やしてお湯にしました。水道や水洗トイレが出来た時は本当にびっくりしました。今はキャンプに行っても水洗トイレです。




 今回の震災で多くの人が風呂に困りました。トイレに不便を感じました。特に子どもたちや若い人たちは苦労しているようです。




 私たちは余りにも電気を過信してしまっていました。何でも欲しいものは手に入ると思っていました。一日電気のない生活を、特に子供たちが経験することも必要かなと思いました。




 被災に遭われた方々はトイレに、お風呂に苦労しています。食べれば出るのが生きている私たちの宿命です。今、日本中が被災地に心が動いています。




 義援金によって心を表すことも大事でしょう。節電して電気の不足を補うことも大事でしょう。




 ひとつの部分が傷むと身体全体が傷むのが正常な姿と聖書に書いてあります。自分の生活は節電も関係ないといって過ごすことも出来ます。




 私たちの生活は余りにも豊かになってしまいました。それ自体は悪いことではありませんが、しかし他の人の痛みを自分の痛みと受け止めることは聖書の語っているところです。今がその時だと思います。






 先進国といわている国でこんなに大きな災害と犠牲者をもたらしたのは第二次世界大戦後、日本が初めてではないかと思います。地震、津波、原発放射線と三重の災害です。




 そのため今まで例を見ないほど諸外国から沢山援助の手が伸べられています。アフリカの貧しい生活をしている人たちも義捐金を募って日本に送ってきていると聞きました。本当に感謝な事です。




 そんな中でも私の目に映った国があります。イスラエルです。日本人にはなじみの少ない国です。特に日本は石油絡みでイスラム世界に目を向けイスラエルを余り相手にしていません。イスラエルと仲良くする国にアラブ世界は石油の輸出を制限するからです。




 そんな関係のイスラエルがいち早く60名の医療者とレントゲン機材などを持ち込んで小さな病院を被災地に設立し医療援助を始めました。そこにはイスラエルの国旗が立てられています。




 昨年イスラエルに行ったばかりですのでイスラエル国の人たちの思いが嬉しくなりました。




 アメリカも全力で支援していますがアメリカと日本は同盟国です。アメリカにとって日本は近い国なのです。イスラエルは遠い国、日本との関係も薄い国です。しかし自分の国での出来事のように医療チームを送ってくれました。




 日本で外国人が医療行為をするに日本の医師免許が必要です。政府は、今回特例でイスラエルの医療行為を認めました。これも初めてのことです。




 今回の災害は1945年以来(日本の敗戦)の惨事と言われています。世界中の国が日本に目を向けてくれています。ひとつの国が痛むと世界中の国も同じ痛みを持って支えてくれる。そこには国の違いも宗教の違いも乗り越えて支えあう人類の素晴らしさを見せてくれています。




 日本は1945年、国中が焼け野原になってしまいました。当時は他の援助を期待できない状態でした。しかしそこから奇跡の復興を遂げました。日本人にはその力があります。まして今は世界中が日本を応援しています。日本は必ず復興します。




 災害地にもう一度家が建ち、町が出来、人々の生活が戻ってくるでしょう。私たちは、神を信じるとか信じないとかの区別を取り除き、被災している方々の再建を祈ります。


3月







 日本観測史始って以来の大地震です。東京大学地震学者の先生は千年に一度の地震と言っています。




 今回は地震、津波そして原発の放射線被害と三重苦の出来事です。避難所での生活はプライベートもなくそこで過ごす人たちの苦労が伝わってきます。




 私たちの潮来でも日の出地区に液状化が地区全体に起こり、見るたびに心が痛みます。お見舞いを申し上げることと一日も早い復興がなされるようにと祈ることしか出来ないもどかしさを感じます。




 何か小さなことでもお役に立ちたいと思う毎日です。そんな中こひつじ園にある井戸水が大変役に立ちました。近所の人たちが入れ物を持って水汲みに来ました。




 水は大切なものであることを今度程知らされたことはありません。井戸は道路脇にあるので誰でも汲みに来ることが出来ました。少しは地域の人に役立つことが出来たかなと思っています。




 私は今回の出来事を体験し、次のことを知らされました。私たちの住んでいる惑星「地球」は活動を続けている星であったことです。火山爆発、各地に起こる地震。私たちはその上に住んでいるのです。




 地球のエネルギーに対して人間は無力でした。化学が発展し人類には不可能がなくなって来たと思い始めた時の出来事です。ですから人類はもっと謙遜にならなければならないと思います。




 出来ることと出来ないことがあります。神様に祈らなければならないことがあります。祈りは祈る人を謙遜にしてくれます。




 今回の出来事でキリスト教会はこのように伝道しましょうと言いたくありません。出来ることは神の助けを祈るだけです。幸い私たちは命があります。大きな怪我もしていません。




 家が傾き、津波で家を失い、愛する家族を失った人が万を数えるほどいます。その痛みは測りしれません。痛みの中にありながら前向きな姿勢の方々が多くテレビに映し出されます。見るたびに元気を頂きます。前進しています。小さな一歩からです。一歩が二歩となります。必ず復興が成ります。




 私は日本が世界で一番好きです。東北に親戚があります。東北の人は心温かい人たちです。連帯感の強い人たちです。世界中から祈りと援助の手が差し伸べられています。感謝なことです。






 3月11日、午後2時45分ごろ、こひつじ園では評議員会が行われていました。




 評議も終わりになり理事長が立って最後の説明を始めたとき、ゆらゆらと揺れる感じがしました。「あれ、血圧が悪い方向になったかな。」ぐらいにしか思われなかったのですが、ゆれは止まず次第に建物全体が激しく揺れ始め立っているのがやっとのような大きな揺れになり思わず外に飛び出しました。




 保育室を見るとみんなどうしていいのか分からず、あるクラスは机の下に入ろうとしていました。「すぐに庭に出るように。」と各クラスに指示を出し、園庭の中央に集まり、点呼をして全員の避難を確認しました。




 しかし、揺れは止まず近所の二階建てがまるで積み木の家を動かすように今にも倒れそうに大きく横揺れしました。急にガラガラと大きな音と共に屋根瓦が崩れ落ちて園児たちはびっくりしてしまいました。




 外は冷たい北風が吹き、寒いのでビニールシートを広げ、そこにマットをひき毛布をかぶり保護者の迎えを待っていました。暗くなり始めてからはバスとワゴン車の中に移動しお迎えを待つようにしました。徒歩や自転車で迎えに来る保護者の方もありました。




 最後のお子さんは翌日の1時になりましたが全員保護者に渡すことが出来ほっとしました。私たち夫婦はそのまま車の中で朝を迎えました。




 100名以上の幼児を預かっての仕事です。職員もそれぞれ一生懸命に頑張ってくれました。幸いなことに園舎は少しひびが出ただけで本体は無事でした。埋立地ですので園庭に多少の地割れや液状化があり土台の割れや、沈みも起こりましたが保育にはそんなに影響はありません。




 教会堂の建物は無事です。二階の牧師室は本箱が全部倒れ足場の踏み入れるところが無い状態になりました。しかし本棚を直し本を入れることが出来たので被害は多くありません。




 会堂後ろにあった大きな花瓶が落下しました。台所はお皿が割れました。A兄とお父さんがきれいに掃除してくれました。




今も余震が続いています。大きな試練です。「神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遇わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」1 コリント10:13






 「少子高齢化」この言葉は毎日のように耳し目にしています。これからの少子高齢化社会を生きて行くために政府は社会保障制度の改革と消費税のアップを考えています。それだけ待ったなしの課題になっています。




 子供が少なくなり高齢者が多くなってきている現実を身をもって感じています。それは教会も例外ではありません。




 30年から40年前の教会には若者が沢山いました。日曜学校も溢れていました。今はどの教団の統計を見ても若者、日曜学校の減少が目立っています。特に地方にある教会は顕著です。地方には働く場が少ないです。




 今の就職難では地方で仕事を見つけるのが一層困難になって来ています。ですから若い人は都会に出てしまい教会に若い人が少なくなるようになりました。  




 菅総理大臣は「雇用が第一」と叫んでいます。潮来市長も「地元に雇用をもたらす企業誘致」に力を入れています。小学低年齢児まで医療費を補助する等政策を行っています。しかし潮来市の人口減少化は止まりません。もうすぐ2万台の市になろうとしています。




 そんな中で私たちの教会のことを考えます。1年前に始めた午後の「親子礼拝」は教会で大切な場を持つようになっています。お母さんと一緒に子どもが礼拝を持つ姿はイエス様が教えられていた時と同じ姿ではないかと思います。




 イエス様は使徒信条も交読文もしませんでした。イエス様の周囲には子どもが親と共にいました。それはイエス様の心安らかれる時でもありました。




 水郷めぐみ教会は午前礼拝と親子礼拝を同じように大切にします。そこに集う幼子たちが教会の将来を担うようになることを信じています。




 クリスチャンホームが生まれることも大切なことです。命の継承と同時に信仰の継承が出来ます。子供は親を教会に、親は子供を教会に導くことが伝道の力となります。




 山崎製パンの現社長はお父さんから信仰を導かれてクリスチャン経営者として教会でも役員として奉仕しています。




 他から導かれる人が起されるように祈ることも大事です。しかし身内の中から導かれる人が起されるよう祈ることも大事です。




 水郷めぐみ教会が命の継承と信仰の継承を求め教会から「少子高齢化」を締め出しましょう。






「 イスラエル旅行記、最終回 」




 イスラエル最後の朝、3時にホテルを出発して空港に向かいました。標高860メートル余りの高地から地中海そばの空港まで坂道を下る道です。




 イスラエルの空港検査は世界でも最も厳しい検査です。岡本公三と言う日本人が1972年この空港で機関銃を乱射し大勢のユダヤ人を殺害しました。私はこの空港に来ると申し訳ない思いがします。




 ここからパリまで4時間半、そしてパリから日本まで12時間のフライトで帰国しました。飛行機の旅はそんなに苦になりませんでした。ツァーでは友達もいますので一人旅よりも楽でした。




 今回、イスラエルに行って感じていることは聖書の世界がより具体的になってきたことです。前回は初めてでしたのでイスラエルの自然に感動をしました。特にガリラヤ湖畔で、ほほに感じた風が水郷の水辺で受ける感じと同じことに感激をしました。




 今回は聖書の地名に思いが走っています。たとえば旧約では「カルメル山」の名前が何回も出てきます。使徒言行録には「カイザリア」が幾度も書かれています。そして土地勘、距離感、置かれている町の場所などが聖書を読んでいてとても気になっています。




 「エリコの町」は旧約聖書でも新約聖書でも大きな意味を持っています。ヨシュアが渡ったヨルダン川は今は川幅が広いところでは10メートルぐらいですがその当事は常陸利根川のような広い川でした。川岸には森が広がり多くの動物も生息していました。




 イスラエルはその昔今よりも緑豊かな「乳と蜜の流れる」土地でした。当事のパレスチナにはレバノン杉と言う建築にもってこいの杉林が沢山ありました。数千年の間に土地は大きく変わってしまいました。




 ガリラヤ湖も死海も21年前とでは水量がだいぶ少なくなっていました。しかし、地名は今も残っています。




 預言者たちが、主イエス様が活躍したと同じ土地に立つことが出来たことは大きな恵みでした。今は大きな聖書地図を部屋に張り一つひとつ地名を確認しながら読むのが楽しみになっています。




 イスラエルに行かなくても聖書地図を開いて聖書を読むのは理解を助けます。そしてビデオ、聖書写真集等、現地の様子を知るためのものは沢山あります。それらを脇において聖書を読むとより深く読み込めます。。


2月






「 エルサレムにて 」




 エルサレム一日目は神殿の中を巡りました。




 イエス様が十字架を背負って歩いた道。十字架にかけられたといわれている二つの場所(カトリックとプロテスタントの主張)なども見学しました。




 二日目はエルサレムから少し離れてベツレヘムです。ここも今はパレスチナ自治区です。見学にも制限があります。




 イエス様が生まれた場所といわれているところにも教会堂が建っています。家畜のいたところは洞窟です。一軒の独立した建物でありません。二千年前のことです。今では想像できない生活スタイルがあったのです。ここにも世界中から多くの人が来ています。




 この街はルツが結婚生活した町です。ダビデが生まれた街です。ここでイエス様も生まれました。神は身重のマリアを敢えてナザレからこの街に導いて救い主をダビデの街で誕生させたのです。




 イエス様誕生の時、羊飼いが天使に示されここに来ました。




 私たちはベツレヘムから少し離れた、天子が羊飼い現れた場所に行きました。なだらかな丘になっています。羊飼いたちはここで夜、天使の訪れを受け、メシア誕生の知らせを受けたと思うと、つい上を見上げてしまいました。




 そしてここにも教会が建てられています。中は壁画が3枚大きくあり、天使の出現の場面が描いてあります。その絵の中には少年、壮年、そして老人の驚きの姿がそれぞれ違いをもって上手く描かれています。




 天使を目の当たりに見たならこのような驚きをするだろうなと想像できます。残念ながらここで私たちは天使の訪れに出会うことはありませんでした。




 この街で初めてガイドがお土産店に私たちを案内しました。そこは木工製品が主で食べるものはなく私はほとんど買うことがありませんでした。




 バス移動途中、ガイドに頼んで市場に降ろしてもらいそこには食べ物ばかりのお店でしたので、みんなで日本のお土産を買い求めました。やはり日本人はお土産を買わないと気がすまないのです。時間を忘れて買い物に熱中しました。




 次の日はエルサレム出発の日ですので早めにホテルに戻り帰国支度をしました。翌日は早朝、3時にホテルを出るのです。この日で観光はおしまいです。






「 エルサレムへ ② 」




 オリーブ山に着いたころ日が沈み、暗くなってきたのでホテルに向かいました。このホテルでは3連泊です。気持ちにゆとりが出来ました。




 ここのホテルには韓国、上海から来た人たちが多くいて客の半分を占めていました。ここで日本に携帯で電話する経験もしました。7時間の時差です。意外とよく話が聞こえ日本にいる時と同じように会話が出来たことに驚きを感じました。携帯電話は本当にすごいです。電話代は高かったです。




 明日はいよいよエルサレム巡りです。興奮しながら床につきました。




 翌日は神殿見学から始まりました。しかしここでハプニングです。グループの一人の方が急なめまいを起こし倒れてしまったのです。救急車で病院に入院。結局帰国まで入院してしまいました。




 最初はモリヤの山に建てられたイスラム教の黄金神殿見学。ここはアブラハムがイサクを捧げた山です。そしてソロモンが壮大な神殿を建てた所でもあります。シバの女王がここにきて感動しました。




 今はパレスチナ自治区になり見学が規制されています。神殿は屋根が厚さ5ミリの純金で覆われているそうです。ですから太陽の光を受け輝いています。21年前は中に入れたのですが今は入ることが出来ません。外から見て写真を撮るだけです。




 エルサレムの大きな写真を手にした人たちが「一枚、ワンダーラ。」と言いながら売りに来ます。私が買うと他の人も次々に買い求めました。今、教会に貼ってあるものです。




 エルサレムは3000年の歴史があります。簡単な説明を受け、次々と神殿周囲を歩きまわりました。イエス様当時の建築物は「嘆きの壁」と呼ばれているい所だけです。今はユダヤ教の聖地です。




 頭に帽子を載せれば私たちも入れます。熱心なユダヤ教徒が律法を読み体を曲げながら祈っています。私も壁に手を置いて水郷めぐみ教会、日本のリバイバルを祈りました。




 イエス様が12歳の時通った道であろうと言われるところにも行きました。石はつるつるになっていました。2000年の歴史の跡です。それにしても壁の石は大きく高く積み上げられています。当時の建築技術には驚きです。











「 エルサレムへ ① 」




 朝の出発は早かったです。今日はエルサレムへ向かいます。




 途中、死海沿岸にある「ロトの妻」と呼ばれているところに立ち寄り岩塩をハンマーで砕いて頂いてきました。




 エルサレムに向かう途中エリコの町に寄りました。ヨシュアがヨルダン川を渡って最初に攻めた町です。エリコは列王記下2章にも書いてあります。イエス様がエルサレムに向かう途中に通られてザアカイと出会った町です。盲人バルトマイのいた町でもあり当事はだいぶ栄えていたようです。




 ザアカイが登った桑の木はしっかりした大きな木です。今は桑の木が囲いの中で大切に守られています。




 エリコは死海、ヨルダン川に近く平地ですがここからエルサレムに向かうには約900メートルの高低の差があります。




 エリコを出るとすぐに高い山に出会います。ロープウエイで登ります。この山でイエス様が洗礼後40日の断食をし、サタンとの戦いをしたと言い伝えられ今は修道院が建っています。




 私たちは修道院の好意によって中に入れてもらえることが出来ました。イエス様が40日間祈っていたところとされている場所がありました。絶壁に横穴があるところです。




 近くには食堂があり見晴らしが良くエリコやヨルダン川を見渡しながら昼食を頂きました。列王記下2章の泉は今も水が湧いています。砂漠の中に3000年以上も湧き水が出ているのです。




 昼食後エリコの城壁跡を見学して一路バスはエルサレムに向かって走ります。道はきれいに整備されています。しかし道の両脇には今もベトインの人たちが3000年前の生活をしていました。




 バスが標高800メートルを登りきると遠くにエルサレムの建物が見えてきました。イエス様と弟子たちもこの道を通って(もちろん徒歩)エルサレムに入ったのです。




 エルサレムに入る前にオリーブ山に寄りました。イエス様と同じ行程を取ったのです。そしてイエス様がエルサレムを前にして「エルサレム、エルサレム。」と嘆かれた場所からエルサレムを見ました。隣はゲッセマネの園です。




 ここは各国からの巡礼者で溢れています。イエス様が祈ったと言われているところに今は世界万国民教会が建っています。その近くにはステパノが殉教した所といわれているステパノ教会もあります。







「 死海へ 」




 ガリラヤ湖畔巡りを終えて次に向かったのは死海です。




 ガリラヤ地方は緑も豊かで農場も多くありましたが、ここから南下して死海に向かうと様子は一変します。




 緑はすぐに見えなくなり砂山、岩山が広がってきました。そこは全く樹木が育たない荒野の世界です。そこに舗装された道路をバスは一路南下していきます。しかし道路脇にはきれいな色をしたブウゲンビリアの木が大きく色とりどりの目にも鮮やかな花を咲せていました。外国から持ってきた花でイスラエルにはなかったものです。




 途中「クムラン教団」住居跡を尋ねました。クムラン教団は洗礼者ヨハネが属していたとも言われています。ここを一躍有名にしたのが「死海写本」です。20世紀の考古学的大発見と言われています。2千年前の聖書がそのままの姿で見つかったのです。




 当時の聖書といまの聖書を比べてみると99パーセント同じです。いかに神様のお言葉が大事に伝えられてきたかを表す物的証明です。現物はイスラエル政府が厳重に保管しています。




 クムランの後は世界遺産マサダの要害です。紀元70年ころユダヤ人がローマ軍に対して最後の戦いを挑んだ要害です。100メートルくらいの丘です。丘の上を平らにしてヘロデ王はここに別荘を作りました。それがイスラエル最後の要害になったのです。今、イスラエル軍はここで入隊式をしています。




 この山からは近くにある海抜下400mの死海がよく見渡せます。21年前と比べると水量がだいぶ減っていました。死海は塩分が30パーセントあります。普通の海の10倍です。




 その中には多くのミネラルが含まれていて死海水から沢山の工業製品が作られるため水が吸い上げられているのです。いまは吸い上げる水の量を制限しています。




 マサダの要害を見学して死海のそばに建っているホテルに入りました。まだ明るかったので海水パンツを買って死海浮遊経験をしました。もうすぐ12月ですが海に入り泳げました。




 海の底は砂でなく白い塩です。もちろん口にすることは出来ません。腰あたりまで入り、そこで身体を寝せて両足を上げるとふわっと浮きました。昔、教科書にあった写真と同じ経験をしました。傷のある人は入れません。傷口が塩で痛みます。


1月






「 ガリラヤ湖 」



 カナから向ったホテルはガリラヤ湖畔に建っていました。そこはティベリアです。




 このホテルに二泊してガリラヤ湖畔巡りをしました。




 イエス様の伝道前期はガリラヤ湖畔を中心にして行われました。弟子たちの多くはこの湖で漁をしていた漁師でした。




 パンと魚で群衆に食事を与えたのもガリラヤ湖周囲でした。また山上の垂訓も、そしてこの湖を渡るときに嵐を鎮め、ペテロが水上を歩いたのもこの湖でした。福音書の前半にはガリラヤ湖畔周辺での教え、奇跡が沢山書いてあります。




 ガリラヤ湖の面積は霞ヶ浦とほぼ同じ面積です。霞ヶ浦周囲が農村であるように、ガリラヤ湖周囲も農村です。ですからガリラヤ湖畔に立つと麻生の「天王崎」にいると同じような雰囲気になります。




 ガリラヤ湖では水郷の雰囲気と同じものを体感できました。違うのはガリラヤ湖周囲には山があり湖が山に囲まれた盆地(海抜下220メートル)にあることです。




 ガリラヤ湖をそのまま小さくしたのが北浦とよく似ています。霞ヶ浦と北浦を合わせて見るとイエス様が伝道したガリラヤ湖畔の状況がよく分かります。イエス様の伝道は田舎から始まったのです。




 奇跡や教えた場所の跡にはすでに教会が建っていて観光化されています。ペテロの住居跡、イエス様が教えられたカペナウムの会堂跡等を見学して後、私たちはイエス様が伝道された同じガリラヤ湖畔で小さな礼拝を捧げました。




 この地を愛し伝道されたイエス様を実感できたことは大きな恵みでした。




 夕方になりホテルに戻るとユダヤ教安息祝いの夕食会が行われていて私たち日本人にもイスラエル産の美味しいブドウ酒を際限なく振舞ってくれました。一緒に安息日の喜びを共にして欲しいと言ってました。




 私たち日本のキリスト者とイスラエル人ユダヤ教徒がぶどう酒を酌み交わして喜びを共にすることは平和を求められている神様のお喜びになる麗しいひと時でした。




 ここの食事も品数が多く野菜も豊富でした。砂漠の地ですが野菜の栽培には力を入れているようです。ギブツといわれる集団農場が農作物生産の基地になっています。






「 ナザレ 」


 カルメル山を下りてバスに乗り、イエス様の故郷ナザレに向いました。途中、アラブ人経営の食堂で昼食。旅の楽しみの一つは食にあります。




 アラブ人の食堂は食材が豊かです。パンも種類が豊富でとても美味しく、日本の串さし焼き鳥のようなものがありました。鉄の串で肉も大き焼肉の様なものが刺さっていました。食料品は日本よりも安いです。




 エジプト人がオーナーで、入り口にいたので一緒に写真に入ってもらいました。オーナーは言葉も分からず急に東洋人が写真を始めたので戸惑ったようでした。外国では積極的に行動するのが大事と教えられたので思ったことをどんどん進めていきました。




 ナザレはイエス様の時代、人口も少なく田舎の寒村でした。ナザレ自体が小高い岩山になっています。一般の庶民は岩山の裂け目、洞窟を住居としていました。洞窟は多くあり、倉庫、家畜小屋、住居に使われていました。雨が少なく暖かい国ですからそれで充分な生活を送ることが出来たのです。




 裕福な人は家を持っていました。当時の家は(今でもそうですが)石を四角の大きいレンガのように整えて積み上げ外壁に用いました。ですから大体の家は石で囲った四角い形をしていたのです。




 屋根は雨が少ないので木の葉や薄い板を張るくらいでした。屋根に上るのも簡単に出来たのです。




 この国は石が大きな役割を果たしています。ヨセフは洞窟の住居に寝ていた時、天使の御告げを受けたのです。それがここですと案内されました。教会の地下になっていてガラスで囲まれて保存されています。




 マリアもこの村で天使の御告げを受けたのです。しかしマリアは御告げを受け妊娠した後、すぐに約130キロ離れているユダヤの地に旅立ちます。そして親戚のエリサゼトの家に3ヶ月間も滞在したのです。




 その間ナザレではヨセフが一人で生活していました。マリアがいない3ヶ月をどんな気持ちでいたのでしょうか。




 いまは世界中から観光者、巡礼者が来てとてもにぎやかな町になっています。次はカナです。ガリラヤから約5キロの距離です。




 着いた時は日も暮れていたので、結婚式が行われていた場所に建っている教会を見、当事の石かめを見てホテルに向いました。






「 カルメル山 」

 この一日は強行スケジュールでした。向ったのはカルメル山です。ここはエリアとバアルの預言者が戦った山です。旧約聖書列王記上18章に詳しく書かれています。




 当時イスラエルは王様や、ほとんどの国民が偶像礼拝者になっていました。そのため3年間国には雨が降らず、かんばつ状態が続きました。




 エリアは王と国民に向って「本当の神はバアルか、主か。」と問い、異教の神バアルとの戦いを起こしたのがこのカルメル山でした。詳細は聖書を読んでください。




 北を向いて山に立つと左に地中海が、右にはガリラヤ湖があります。「手ほどの雲」は左手の地中海から湧き上がったのです。そして雨が降り注ぎました。




 バアルの預言者に勝ったエリアはバアルの預言者に裁きを下します。処罰の場所はキション川でした。いまは川の姿が見えません。わずかに川に沿って小さな草木が帯状に茂っていてここが川だったと分かるくらいです。雨季には水が流れると言っていました。




 そしてこの山から周囲をぐるりと見渡すとガリラヤ方面にダボル山が見えます。きれいなおわんをかぶせたような山です。この山での出来事は士師記4章に激しい戦いが行われた山と書かれています。




 この辺は農耕地として作物を生産するところです。砂漠も岩山もあまり見られません。イエス様もカルメル山、タボル山に来て神様の働きを学んだと想像するのは正しいことと言われています。




 イエス様の初期の伝道活動は多くの村々を歩いています。その下地は仕事を求めてガリラヤ地方を歩いていたからこそ地理に明るく村々を歩くことが出来たといわれています。




 そしてイエス様の変貌はタボル山と言われています。ここに立つと女預言者デボラ、エリヤ、イエス様とつながります。その同じ地に自分も今立っていると思うと生ける神の存在がより身近に感じられ身が震える思いをしました。




 この山にはカトリック教会が建っています。誰でも中で礼拝やミサを持つことが自由に出来ます。私たちも入って小さな礼拝をしました。生ける神に賛美と祈りを捧げました。




 聖地旅行の恵みは神様が実際に働かれた場所に立って聖書の世界が現実として受け止められことです。






「 カイザリア 」

 最初に向ったところはカイザリアでした。ここは地中海に面している海岸です。




 ローマ帝国時代にヘロデ王はここに港を作りました。そして港町を当時のローマ皇帝カイザリアにちなんでカイザリアとつけました。




 ここはローマ帝国のパレスチナ支配の重要な港町として発展しました。総督府も置かれていた町です。立派なコロシアムも当時のままの姿をもって残っています。現在も音楽や演劇が行われているとガイドの話でした。




 使徒言行録23章からこの町がパウロと関連して書かれています。当時パウロはユダヤ人の陰謀によってエルサレムで捕らえられ裁判にかけられました。ローマ市民権を持っていたパウロは皇帝にまで上訴しローマに送られるためカイザリアに2年間留め置かれました。詳しくは使徒言行録に書いてあります。




 港はいまは廃墟になっていて遺跡が当時の面影を残すだけです。私は海岸に立って青く澄み通ったきれいな地中海を見ながらパウロはここでどんな気持ちを持って過ごしていたのかと思いにふけりました。




 海の向こうは何も見えません。しかし帝国の首都ローマが遥かかなたにあります。そこには福音を知らない多くの人が暮らしています。




 パウロはアジア各地に伝道旅行をし、最後の目的地は首都ローマと決めていました。パウロはこの海岸に立ち、まだ見ぬ遥か遠くのローマにイエスキリストの救いを伝えるとの使命とビジョンに燃え、毎日その日の来るのを祈りながら待ち望んでいたのです。私はその姿に思いが走りました。




 壮大なパウロのビジョンに胸を打たれました。彼は首都ローマに福音を伝え、帝国中をキリストの福音で満たしたいとの夢を神様から与えられたのでした。




 聖霊の導きは福音をより多くの人に伝えることでした。パウロの目は絶えず外に向いていたのです。聖書を読んでみるとその思いがよく分かります。ここからローマまでの船旅も詳しく聖書に書かれています。嵐に遭い、難破し、命がけの旅でした。




 いま日本の教会は内向きに、そして小さくてもよいと考えているのではないか。もう一度、パウロのそして聖書の原点に立ち返って日本の教会はビジョンを大きく持てるようにとこの港町で祈を捧げました。







 今回、21年振りにイスラエルに行くことが出来ました。きっかけは、ある牧師からの誘いでした。




 「いま行かないと年齢を重ねるにつれ行けなくなってしまうよ。」と声をかけられました。




 飛行時間を聞いてみるとパリで乗り換え、イスラエルまで17時間かかるとの事でした。エコノミークラスの狭さを知っていますから17時間も狭いところに閉じ込められるようなことは出来ないと断っていましたが熱心な誘いと、教会員の暖かな励ましの言葉によって行く決心をしました。




 それから旅の準備が始まりました。スーツケース、衣類、靴など色々と気を使いながら準備を進めました。旅の支度を近くで見ていた家内は、あまりにも気を使いながら悩みながら準備をしている私を見ていて変になってしまわないかと心配しました。




 やはり遠くの国ですから気候も違うし長い時間飛行機の中でいかに楽しく過ごそうか、色々と考えてしまいました。




 当日、教会では教区信徒大会がありました。「先生、心配しないで任せてください。」との声がありましたが成田を発つまで気持ちは信徒大会に向いていました。




 しかし飛行機に乗ってしまうと気持ちはイスラエルに向くようになり、いよいよ長旅の始まりです。エールフランスのエアバスで総二階の大きな飛行機でした。ほとんど満席500人近くの人を乗せて飛行機は一路パリに向って飛び立ちました。




 北回りでほとんどロシア上空を飛んでいました。雲の上は同じ景色、飛んでも飛んでも見えるのは雲ばかり。




 途中、夜になり雲の上にきれいな月が見えました。眼下を見ると所々に明かりが見えました。座席は通路側に座れたので席を離れ、階段を上ったり降りたりすることが出来運動も出来ました。そしてツァーですので話し相手もありまあまあの旅でした。




 パリは夜でした。そこからイスラエル行きに乗り換えイスラエルのテリアビブに真夜中の12時ごろ到着、すぐにバスでホテルに直行。




 ホテルに2時ごろ着いて「今日は9時に出発します。」とのアナウンスを聞いてベットに疲れた身を横たえました。




 数時間寝てコールサービスによって起こされ、朝食を食べていよいよ聖書の世界へと出発しました。




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