8月
新型コロナウイルス感染の勢いが止まりません。今までは高齢者中心に感染が広がっていましたが、最近はウイルスの変化により若い人も感染しやすくなってきました。
東京では7月からの一か月間で保育園が100園も休園に追い込まれたと報道されていました。学校では夏休み後の感染防止をどうするか悩んでいるところです。
総理大臣は「明るい光が見えてきた。」と発言しています。しかし現状はいよいよ「悪い光が」見えているばかりです。
コロナ感染者を受け入れるのを優先的にしているため入院病棟は満室。通常の病気で入院必要なベットがなくなっている。コロナ感染者はホテルで治療、ホテルも満室、自宅での待機と現状はますます悪くなるばかりです。
このウイルスは人から人へと感染するため、人出を少なくしましょう。不急不要の外出は控えましょうと政府は呼びかけています。
しかし大都会、日本の首都、東京での人出は田舎にいる者から見ると溢れかえっている状態に見えてます。テレビで見ていると恐ろしさを感じるほどです。
中国が発症源と言われているコロナウイルスはあっと言う間に地球全体に広がり今ではコロナウイルスに関係ない国が無くなっている状態です。
初期キリスト教の伝道はパウロを中心に行われていきました。晩年、パウロは反対者から「この男は疫病のような者です。」(使徒24:5)と言われています。それだけパウロの伝道の広がりには勢いがあったということです。
今日、我々の世界は閉塞感で覆われています。それはコロナだけでなく、少子化問題、地球温暖化問題、中国の覇権主義問題など。その根本的な問題は自分のこと、自分の国のこと、自己中心的な考えが根底にあります。
アフガニスタン問題もそうです。アメリカをはじめ国際社会がアフガニスタン援助を20年間しても民主化はできず、極端なイスラム主義の力に支配されてしまいました。ミャンマーも軍事クーデターで民主主義は崩壊しました。
中国はいよいよ共産党中心の独裁政治が強まってきました。イエス様は言いました。
「天地は滅びても私の言葉は滅びない。」と。
我々は全能の神様を信じています。すべての問題を解決してくださいます。
先週8月15日は日本が戦争に負け無条降伏という屈辱的な要求を受け入れ、天皇がラジオを通して全国民に伝えた日です。
戦争に負けた敗戦記念日を今、政府は終戦記念日と言っています。ですから最近の若者たちは戦争に勝ったのか負けたのかを知らないで8月15日をなんとなく受け止めるようになってきています。
またこの日は日本武道館において全国戦没者追悼式が天皇の参加のもとに行われています。そこで総理大臣が挨拶をするのです。「過去の戦争で尊い命を犠牲にされた方々の英霊の上に今の日本の発展があります。」と。
またこの時期になると毎回取り上げられるのが「神風特攻隊」です。若い優秀な青年が戦闘機に爆弾をつけアメリカの軍艦に体当たりすることです。その数1,200人以上と言われています。
しかし戦争で戦死した兵士は200万人以上ともいわれています。それらの兵士のほとんどは招集令状(赤紙)一枚で兵隊に徴収された人たちです。その半分の遺骨は今も異国の地に捨て置かれたままです。
彼らは派手な飛行機に乗ることもなく歩兵として戦い戦死しました。ですから神風特攻隊のような取り上げ方はほとんどされていません。
召集令状で軍隊に集められた人たちはほとんど戦争には素人の民間人でした。普段は農業に励み、商売に励んでいた人たちです。職業軍人とは違う人たちです。
本当は戦争に駆り出されることを進んで受け止めていませんでした。招集された人たちは家の中心的な人が多くありました。ある人は結婚2年目で招集されました。そして南の国で戦死してしまいました。
今日、政府は戦争の誤りを公に口に出すことをしません。「戦死した皆さんを戦地に送り出したのは政府の間違いでした。」と反省が見られません。
戦地に家族を送り出した家族はどんなに大きな苦労をして過ごしたことでしょう。平和はあのような誤った戦争に走ったことに対する反省から出発すべきです。
すべての戦争はしていけないことです。反省しなければならないことです。
平和は反省と武器を手から離すことから始まります。そして相手を自分のように愛するところから始まります。
「自分を愛すよように隣人を愛しなさい。」
1945年8月6日は広島に、9日は長崎に原子爆弾が投下され、広島では約20万人、長崎では約15万人が無差別的に一瞬のうちに命を奪われました。
そして大日本帝国は8月15日に敗戦。無条件降伏をして戦争は終わりました。これは第二次世界大戦と言われ全世界が戦争に巻き込まれました。
ヨーロッパはドイツが侵略戦争を。アジアでは日本が侵略戦争を起こしました。日本軍は主にアメリカを相手に戦いを挑みました。
最初の奇襲攻撃がハワイ州の真珠湾攻撃です。これが成功したので大日本帝国は自信を持ち戦いを拡大しましたが、最後には劣勢になり飛行機で体当たりする神風特別攻撃隊を編成し、優秀な若者を戦闘機に乗せ、アメリカ艦隊に体当たり攻撃を始めましたが成功は低く、ほとんど無駄死にして飛行機共に海中に墜落してしまいました。
戦争前、日本が統治していたところは朝鮮半島、中国満州、台湾、樺太、南洋諸島と広範囲に広がっていました。しかし敗戦によってすべての日本人は本土に引き上げをしなければらくなり、悲惨な出来事も起こりました。
この戦争で犠牲になった人は日本人だけでも300万人、日本人がアジアで起こした行動で2千万人が犠牲になったともいわれています。
日本は敗戦後アメリカ中心の連合国の統治下に7年間置かれました。幸いアメリカは当時キリスト教の教えが浸透し、日本はキリスト教の影響下で民主主義国家になりました。宣教師も沢山アメリカから送られてきました。
そして戦後キリスト教ブームが起こりました。マッカーサー元帥は皇室の家庭教師に熱心なクリスチャンを送りました。真珠湾攻撃指揮官も戦後クリスチャンになりました。
私たちが青年の頃までは多くの青年たちが教会を訪れました。そして洗礼を受けクリスチャンになりました。教会は青年会が一番盛んでした。
今日、日本が世界を相手に戦争をしたことを知る若い人は少なくなりました。なんとなく平和に過ごしています。
コロナでの外出自粛は若者に届きません。今、若者が立たなければ日本の将来は開けません。
全世界に出ていくには共なるイエスキリストが必要です。受け身でなく他者を愛する信仰が必要です。若人よ立ち上がれ!
和子先生が最近少しずつ料理をするようになりました。本人は簡単なものと言ってますが私にとって久しぶりの手料理はとても美味しいです。
私が作るのは単純な料理ばかりで申し訳なく思っています。今はスーパーに行けば大体の物が揃って少しフライパンで熱を加えるか焼くかすれば、おかずとなるので重宝しています。ですからどうしても冷凍ものを買いだめしてしまいます。
しかし手で作った物は一味違います。そこには気持ち(愛情)が込められているからです。私もスーパーで買ったものを温めてから何か一品を加えるようにしています。漬物でも買ってきたものより自分で作ったもののほうが一味違います。
料理には決まったものはなく何通りでも作ることができる、と言われているのを聞いて自分なりに工夫を重ねてきました。
そして、自分で料理して3年目になりますが、この3年間に体重が8キロ減り、ウエストも8センチ緩くなりました。ズボンがゆるゆるです。
7月で満74歳、今は75歳の年齢に入りました。今は平均年齢が83歳といいます。それまで生きられるかは神様の御心次第です。
しかしこの身体は神様に造られたものです。粗末にはできないと思っています。第一に食事、そして無理しない程度の運動(ウオーキング)。
今まで出来てきたことが出来なくなって来ているのも事実です。以前は運転する人がいないとき園児バスの運転もしていました。私の父は園のバス運転を65歳までしていましたが65歳で止めました。
今年は教会駐車場の草刈りを1時間ずつしました。燃料に入れる量を1時間で使い切れるようにしていました。以前は燃料が切れたら継ぎ足しながらしていましたが、今は自分の体力の衰えを実感していますので、今年は1時間が丁度いいです。
パウロは老年になり念願のローマに行きました。都の首都ローマで伝道するのが長年の夢でした。しかしローマでは今までのように外部に出ての伝道は出来ませんでした。
自分の所に訪ねてくる人に福音を語りました。若いときは各地を訪れて開拓伝道をしましたが段々と働き方が変わってきました。
75歳を迎えた今、どんな働きができるか。主の導きを求めつつ。
東京オリンピックが開催されています。菅総理大臣は「感染症に勝った勝利のオリンピックにします。」と何回も発言されていました。IOC会長バッハさんは「海外の選手から感染症はゼロにします。」と発言されました。
しかし新型コロナウイルス感染広がりは異常なスピードで進んでいます。
政府は緊急事態宣言を何回も発令しています。昨年の一回目の時は、都会の中から人通りが無くなりました。初めての病気なのでみんな恐れていました。
しかし今は、緊急事態宣言が発令されても人の流れは全く変わりません。減るどころか増えています。
4連休、オリンピック、夏休みと外出する機会が多くなっています。特にオリンピックで日本が金メダルを獲得したとき、国民は興奮し外に出てみんなと喜びを分かち合い騒いでいます。
若者たちは宣言を聞いても「またか」の受け止め方です。今回の拡大の特徴は20代を中心に広がり、高齢者は少なくなっています。ワクチン効果が表れているようです。
若い人は、みんなが出て遊んでいるのだから自分も我慢する必要はない、との考えで自粛は関係ない気分のようです。
本来でしたらオリンピックは全世界から選手、応援団が集まり国を超えての応援、交わりが行われ国際的にみんなでお祭りをし日本を理解してもらう絶好の機会でした。
広々とした会場には応援団はだれもいません。見ていて寂しい限りです。
政府はオリンピックを機会に、来日者を年間4千万人まで増やしていくと計画していましたが不可能になりました。感染拡大が大きな理由です。
特に若い人たちは自分たちの遊びたい気持ちを抑えられなく外に出てしまっています。心に油断が生まれています。
すべてを政府の言う通りにしなさいではありませんが、健康に関することに対してはもっと真摯になってほしいものです。
そしてせっかくのオリンピックです。応援をし外国との交流をし平和の絆をしっかりと築いてほしいと思います。
悪の霊は人々の心に働いています。我々にもこのくらいなら許されるだろうとの思いを持ってきます。
私たちは信仰者としてしっかりとした態度を示さなければなりません。時には忍耐も必要です。
7月
全世界注目の東京五輪が始まりました。これほどの危機的状況の中で行われる五輪(オリンピック)は初めてのことです。
前回の東京五輪は日本中がわき返りました。当時私は高校3年生。最後の種目マラソンでエチオピアのアべべ選手が前回のローマ五輪(この時は裸足で)に続いて優勝したことは記憶にはっきりと残っています。
それに東洋の魔女、決勝戦でソビエトを破り金メダル。本当に感激しました。しかし今回は全く違った状況です。
大きな原因は新型コロナウイルス感染です。そのため立派に作った国立競技場は開会式無観客。競技も無観客という例を見ない状態になってしまいました。
感染症は病の中で最も恐れられている病気です。日本でも天然痘が流行り、江戸時代は徳川将軍も天然痘によって命をなくしたことがありました。
聖書の時代でも感染症は一番恐れられていました。代表的な病が皮膚病です。以前の口語訳聖書ではライ病となっています。旧約聖書にも出ています。
そしてライ病に対する規定が事細かく決められています。(レビ記13章)。一番の規定は隔離です。これは新約時代にも適用されていました。
イエス様が山上の教えを終えて山から下ってきたとき一人のライ病人がイエスの御前に近づいてきました。この人は山上の教えを聞いていた群衆の中にはいなかったようです。人前に出ることを禁止されていました。(ソーシャルデイスタンス)
しかし、山のふもとで かすかに聞こえるイエスの話を聞いてこの人は山から下りてきたイエスの前に出て行ったのです。
突然ライ病の人が目の前に現れてきたのですから人々は驚き後ずさりしました。しかしイエスは禁止されている規定があるにもかかわらず自分から手を出しその人に触れました。(現在のコロナ感染対策では握手は避けられています。)
そしてイエスは言われたのです。「よろしい清くなれ。」すると重いライ病は直ちに癒されました。
私は現代の新型コロナウイルス感染に対しての勝利の力を持つイエス様に期待しています。隣人を愛することは聖書の教えです。これが感染症に我々が心得ることではないかと思います。そしてみんなで注意した行動をとりましょう。
鳥(カラス)について、もう一言。
エリアに肉とパンを運んできたカラスは数羽と書いてあります(列王記上17)。それも朝と夕べの2回です。
一羽のカラスでは運べる量は限られています。私は時々この肉は生肉かそれとも焼肉かと考えるときがあります。
それにしても普通ならパンと肉はカラスの好物。カラスは食べたい気持ちを抑えてしばらくの間同じことを続けていました。そこには神の働きがありました。
新約でもカラスはイエス様によって語られています(マタイ福音書6章、ルカによる福音書12章)。ルカでは鳥にカラスのフリガナがつけられています。
我々日本人は本質的にカラスを嫌います。家内の実家(山形県)ではサクランボを栽培していました。カラスはそこにも来て食べ放題、木下にはカラスが落としたサクランボが散らかっています。
みんなから嫌われているカラスが、何故、聖書には好意的に取り扱われているのか。先週考えていました。今のところ落ち着いたことは、神様は嫌われ者をも愛してくださっておられるということではないかです。
鶯のようなきれいな声でさえずる鳥、セキレイのような色鮮やかな鳥、可愛い手乗り文鳥、と我々人間に好かれる鳥はたくさんいます。神様はそのような鳥だけを養っておられるのでなくすべての鳥を養っておられる。
この愛は我々人間に対しても同じように向けられておられる。みんなから好かれる人もいます。嫌われたことのある人もいます。神様の愛は差別ないのが原則です。
そして時にはエリアに食料を運んだ烏がいたように、神様はカラスのような鳥もご自身の働きのために用いられる。それは我々人間に対しても同じではないかと思います。
我々も神様に愛され用いられることがあります。かつては私自身も嫌われ者。罪の中にいた物でした。イエス様はそんな私の救いのために十字架の受難を受けてくださった。これは鳥に対する愛の行為よりも遥かに素晴らしいものです。
今、世界は新型コロナウイルスの対策に追われています。しかし、神様の愛はいつも変わりません。空の鳥に配慮しておられる神様は、我々に対してはさらに大きな愛をもってご配慮しておられます。
私の趣味の一つに家庭菜園があります。有機質肥料作りから始めます。
今は夏野菜の収穫時期です。トマト、スイカ、キュウリ、カボチャなどがあります。その中で一番好きな野菜はスイカです。
数年前、近くの友人からスイカ作りを教えてもらってから始めました。5月にホームセンターで苗を買い、今は実も大きくなっています。
先日、朝早く見に行ったところ、スイカに穴が開いていました。まだ完熟していない中身が現れ、、あと一週間すると完熟して食べられるような大きさになっていました。とてもショックでした。
スイカだけでなく、これから収穫予定のトウモロコシもカラスの対象になっています。如何にカラスからの攻撃を防ぐかが今の大きな課題です。
日本は童謡でカラスが可愛いく歌われています。歌の中のカラスは山に住んでいて人家に被害を与えない設定になっています。
聖書にもカラスは登場します。預言者エリアが困窮したとき、カラスが肉とパンを運んでエリアを助けたことが書かれています。(列王記上17章)
この烏は自分からエリアを助ける行為をしたのでなく、神がカラスに命じてエリアを養ったのです。神様はカラスにもご自分の働きするように命じることがおできになるのです。それなら私の野菜を襲わないようにカラスに命じてほしいなと思ってしまいます。
イエス様は「空の鳥は蒔くことも、刈ることも、倉荷納めることもしない。それなのに天の父は鳥を養ってくださる。」と言われました。(マタイ6章)
私が蒔いて育てた作物に手を出さないように命じてほしいと思います。しかし、それは私個人の勝手な願いです。神様は私の我儘は聞いてくださらないようです。
しかし、カラスの被害を防ぐのは自分の責任。如何にしたら被害から作物を守れることが出来るか自分の頭で考えることが大事です。
それにしても店頭に並んでいる野菜は見た目も立派。虫の食べ後もない。このような野菜を作るには病気や虫を殺す農薬が使われています。
有機肥料には多くのバクテリアの働きがあります。見た目はよくありませんが野菜を強くします。
信仰の強さには心の強さがあります。聖霊の働きは心を広くします。外部からの攻撃に負けないように。
先週礼拝後、新役員による第一回の役員会が行われました。詳細は掲示してますのでご覧ください。
その中で証しの話が出ました。今、礼拝では説教を聞くことが中心となり我々の恵みを証しする時が設けられていません。そこで9月から月一回証しの時を持ったらという話が出ました。素晴らしいことと思います。
我々は神様からたくさんの恵みをいただいています。その恵みはみんなと共有することにより、独断でなく教会としての普遍的なものになり、教会に集う者にも同じ恵みをもたらすことになります。
また、恵みを言葉に表すことによって確実なものになってきます。
ヨハネによる福音書4章には、サマリヤの女のことが長く書かれています。一人の孤独な女性がイエス様とお会いして、人生が変えられた出来事です。
この女性はイエス様との出会いの恵みを町の人に証しました。それでサマリヤの町はイエス様を迎え入れ、多くの人が信じるようになりました。真実な証しは人を救いに導きます。
先週の礼拝でK姉が「アメイジング グレイス」を英語と日本語で、透き通るようなきれいな声で歌ってくれました。87歳です。教会に来ることを楽しみにしています。
K姉は自分に与えられているものをもって賛美の証しをしてくれました。
証しとは神様との関係のことを語ることです。我々は生活の中で神様との関係をたくさん持っています。
生まれて初めて教会に来てイエス様を信じた時、友達に誘われて教会に来た時。毎日の生活の中で、神様の臨在と関りを感じた時などいろいろあります。教会に導かれることも生きていることも神様の恵みです。
「数えて見よ、主の恵み」という賛美歌があります。感謝、賛美は言葉にすることによってさらに確かになります。賛美をすることも、ピアノを奏でることも、体験したことを等を文章にしてまとめ読み上げるといろいろあります。
礼拝の中ですから時間は5分を目安としましょう。証しすることは自分も恵まれます。
今から与えられている恵みを一つひとつ数えてみませんか。そして自分たちで水郷めぐみ教会を、めぐみのある教会として作り上げていきましょう。