6月
私はもうすぐ満71歳を迎えます。年齢が増えるのは誰にも止められません。
私たちの年代は団塊年代と言われ日本歴史上で同じ年に生まれた人が一番多い世代です。生まれたときはこんなに赤ちゃんが生まれこれから日本の将来は明るいといわれました。
そして我々が成長した時代、日本はすごい高度成長時代を迎え、日本の経済はNO1と言われました。当時の我々は「金の卵」とその労働力をもてはやされました。日本中が活気にあふれていました。
力余った若者は当時国鉄の列車を止めるのは朝飯前。山手線の新宿駅、渋谷駅などに侵入し電車を止めることもしていました。良いことにも悪いことにも日本は大きく動いていました。現在の日本の姿を作った世代は団塊世代です。
郊外には四階建てのアパート群の団地がどんどん作られていきました。あれから50年。団塊世代は高齢者になり70歳を迎えています。
高齢者になれば人間誰でも衰えてきます。あのダビデ王も。働きが出来なくなってくると病にもなり体の不自由な人も多くなります。そのため医療費、介護費の増加(人口が多いので費用も莫大になります。)
国の予算の大きな部分を医療費、年金、介護に割かれ日本の予算は大幅な赤字予算になっています。少ない若い人にその負担が重く乗っているとマスコミや政治家は叫びます。
あやめ祭りだけでなくどこの観光地も多くみられるのは高齢者です。働ける人よりも働けない人の方が多くなっているのが現実です。
私も最近はお昼ご飯を食べた後、夕ご飯を食べた後、とても眠くなります。主治医は「眠たい時は寝なさい。」と言ってくれます。
70代になり衰えることは受け入れなければと思っています。しかし冴えてくることもあります。聖書を読む力です。若い時と違った恵みが与えられてきています。
何故か考えるに、段々天国に近づいてきているから神様のことが若い時より身近になっているかなと思っています。高齢者の楽しみは神様にお会いできる時が近づいていることです。我々クリスチャンの最終目的はそこにあります。
すでに多くの先輩クリスチャンが行っています。お会いできるのも楽しみです。
夏野菜の季節になりました。
素人の私が野菜を作るのですから上手に育てるのは難しいです。農家の人の畑を見るとそれなりの手が加えられ、野菜はすくすくと育っています。見るたびこうすればいいのかと教えられます。
昨年はスイカがうまく作られたので、今年も始めました。しかし今年のスイカには黒い虫が葉の裏にべったりついてしまい、液を吸い取りスイカは瀕死の状態です。
そんな中でも、虫の被害を逃れ、小さな実を結んだものもあります。朝、見たらゴルフボールの大きなものが2つ見えました。
今年も美味しいスイカが食べられると期待し、夕方見に行ったら穴があけられていました。現場を見ていないので犯人を決めるのは難しいですが、想像するには多分カラスかなと思います。
例年でしたら収穫寸前にカラスが来ます。これは他の野菜でも同じです。今年は虫とか、結実したての実を食べられるとか、例年にないことが起こり対応に苦慮します。
地震、豪雨、気温の上昇など、最近は自然界の変化が大きくなっています。昨日は気温30度にもなりました。暑さ好きな私にとって夏は苦労しませんが、急な温度上昇にはさすがに体がついていきません。
これからの残された短い時間の高齢者にとっては、いろいろな面で生きづらくなっているのが現実と思います。高齢者の運転事故、寝たっきり、介護の必要など、もうすぐ迎える大きな課題もあります。
乳幼児への虐待。中学生の自殺。財務省、文部科学省など、自然界だけでなく人間社会も変な状態になっています。そのような中で一番信頼できるお方が、イエス・キリストです。
私は毎朝、園の職員朝礼のとき聖書を読み短く説教をしています。これは40年間続けています。40年経っても聖書の恵みは変わりません。恵みが増しつつあります。
野菜つくりもやがて出来なくなります。社会の変化に対応できなくなります。しかし最後まで私の手から離れないのは聖書です。
昔のコマーシャルに「何がなくても江戸むらさき」とのフレーズがありました。自然界の変化、年齢の高齢化は避けて通れないことです。そんな中に聖書が手元にあることは大きな恵みです。
今日も私達は聖書を読んでいます。
今、政治、スポーツ、北朝鮮問題で大きな関心が起こっています。
大学のスポーツ界では勝つために反則もやむなしという指導が問題されています。反則をした20歳の選手が記者会見をし真実を語った勇気ある姿には日本中が驚きに包まれました。
政治の世界では公文章の書き換え、廃棄が問題となっています。このことは大阪特捜部でも事実が確認されました。公文書が個人の都合で勝手に書き換えられることは役所がごまかしをしていることです。
先日の読売新聞に、その背後にある日本独特の精神構造が書かれていました。一番の要素は太平洋戦争が敗戦になったとき、アメリカ軍が上陸前に自分たちに都合の悪い文章はことごとく焼却した行動にあると書いてありました。
そして証拠を廃棄した当時の多くの軍、政治家は罪を免れ、戦後政治の重職につきました。
日本には自分が行った行動に対して都合が悪ければ証拠を無くしてしまう風土があるといわれています。あるいは文章を書き換えてしまう。今の時代にもこのことが生きているわけです。
しかし、そのことに対して誰も責任を取らない。うやむや、水に流す。そこには多くの神々(偶像)を都合のいいように受け入れてしまう日本人独特の精神構造があります。
我々神を信じている者にとってあり得ないことと思います。私たちの生活と信仰にとってなくてならないものは文章になっている聖書(神の言葉)です。これは天地が滅んでも変わらない神の言葉です。
2千年間、同じ聖書の言葉にクリスチャンは生かされています。そこには書き換えも改ざんもありません。神様は我々の行動を見ておられます。その意味で我々は神に対しても人に対しても真実に生きることが大事です。
そして我々には世の光としてのイエス様がおられます。我々クリスチャンはイエスキリストの証人です。神様の真実は我々を通して証されます。
混迷の霧に包まれている今日、クリスチャンの証が求められています。家庭が、近所が、職場が証しの場です。
最近クリスチャンの証力が弱くなっているといわれています。クリスチャンの精神構造は永遠に変わらない聖書に支えられています。
5月
今日は私たちにとって大きな喜びの日です。イエス様を信じて洗礼を受けることは我々以上に、天において「神の天使たちの間に喜びがある。」「大きな喜びがある。」と喜びを聖書は繰り返しています。(ルカ福音書15章)
今日、洗礼を受ける Sさんは、こひつじ園の卒園生です。小学生になってからもバイブルキャンプに参加してきました。そして今は高校1年生です。
私たちが東京の教会から潮来に転任したときは、毎年のように高校生の洗礼がありました。それも一人でなく数人の洗礼式でした。
当時、日本ホーリネス教団で一年間洗礼を受ける人は400名を超えていました。今は100人前後の洗礼者になっています。
私たちは多くの時間を園の働きに使っています。そして毎年のバイブルキャンプに卒園生が集まります。我々の祈りは伝道困難なこの地において幼児時期からキリスト教教育をしてイエス様を伝えることです。神様は祈りに応えてくださいました。感謝です。
新しい洗礼者が与えられることは教会にとっても感謝なことです。クリスチャンになることは我々と交わりを持つようになることです。
このことを、ヨハネは手紙の中で「私たちの交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」と書いています。洗礼を受けた我々は神との交わりの中にいます。
教会の集まりは人間の集まりでもあります。人間同士の会話が起こることは自然なことです。その会話の中には教会でなければ見られない神様の存在があります。
教会はただ人間同士の交流の場ではありません。神ぬきの交流は教会以外の所にたくさんあります。それらと教会の違いは、交わりの違いはその中に神様が存在していることです。
Sさんは教会に来る時、聖書を持ってきます。そして神様のことを学びます。(洗礼準備は和子先生が担当しています。)
洗礼を受けることは新しく生まれ変わったことです。人間的に言えばクリスチャンとして赤ちゃんの第一歩を踏み出したことです。
ですから私たち先輩のクリスチャンはみんなで支える責任があります。我々の兄弟姉妹になりました。その気持ちを忘れないで交わりをしていきましょう。
今年も、こひつじ園玄関に「つばめ」が子育てをしました。巣は正面玄関の真上の所にあります。数年前に作られた巣を毎年利用しています。
例年ここから5羽くらいのつばめが巣立ちをします。先週が巣立ちの時でした。卵から孵化して2週間くらいで巣立ちします。いっぺんに5羽が巣立ちするのでなく、最初の巣立ちの始まりから最後のつばめが巣立ちするまでに数日かかります。
最後に残っているのはどうも気が小さいようで臆病な性格のようです。つばめにもそれぞれ性格があって面白いなと見ています。
巣立ちのつばめは、空を飛ぶのにまだ幼稚さが見られます。驚いたのは幼稚な子つばめを狙っているカラスがいることです。
カラスは近くの電柱から巣立つつばめを狙って、大きな体で襲い掛かります。アッ!、カラスに捕まると思った瞬間、親つばめが素早く自分よりも数倍の大きさのあるカラスに飛び込んできました。
その動きは俊敏。カラスに近づいたらすぐに反転し、再びカラスに向かう。その一途な姿は巣立ったばかりの我が子を、命がけで守る親の愛を感じました。
カラスは何回もつばめに邪魔され、ついにあきらめ離れ去っていきました。カラスは堅く鋭い口ばしを持っています。蛇をも加えてしまうほどです。
そこに小さなつばめが果敢に立ち向かう姿は素晴らしいものがあります。親により子供のつばめはカラスからの攻撃から守られ、だんだん飛ぶ力を増し加え、親と同じような俊敏さをもって飛び去って行きました。
あの子たちは来年、再び同じところに戻り、親として同じ巣の中に卵を産んで子育てをするのかなと思いながら飛び去る姿を見つめていました。
聖書に「あなたの祭壇に、鳥は住みかを作りつばめは巣をかけて、雛を置いています。いかに幸いなことでしょう。あなたの家に住むことが出来るなら。」(詩編84:3)と書かれています。
小さなひな鳥が大きな親鳥の翼の中に守られる安心感が聖書にもあります。神様は信仰の小さな者を命かけて守ってくださる。我々は神様の守りの中に歩くことが出来る。
今年も卵から孵った5羽のつばめは、無事巣立ちました。お土産として沢山の糞を残していきました。来年もこの巣に戻ってくるのでしょうか。
私は今、潮来第二中学校 第一回卒業生の同窓会長をしています。
私たちは戦後のベビーブームの中で生まれました。平均5人の兄弟がいた時代です。学校は体罰あり、騎馬戦あり、棒倒しありで、今では考えられない学校生活です。
先日、古希の記念として一泊旅行をしました。企画していた2月、相当寒い時でした。行先は足利フラワーパークの大きな藤の花を見ること。富岡製糸場を見学することでした。
今年の天候は異常とも思える寒暖の差のが大きく、桜も藤の花も予定より相当早く咲き、先週行った時は藤の花が咲き終っていました。しかし、藤の枝は想像以上に広がりを持っていました。咲いていた時には見事な姿を見せたであろうと想像しました。
翌日は世界文化遺産の富岡製糸場。2014年に指定された時は長蛇の列ができましたが、今は見学者がチラホラでゆっくりと見学できました。
製糸場が作られたのは明治5年。工場はその時のままの姿を保っています。明治5年にこんなに大きな建物が出来たことに驚きました。それが今も保たれている。
よく見ると建物の基礎の部分は大きな切り石がひかれていました。基礎がしっかりしているのです。足利フラワーパークの藤の広い枝を支えているのは太い幹です。
私たちはどうしても華やかな花に目が行きます。立派な建物の外観に目がとられます。幹を見るとか基礎を見る人は少ないです。
私たちも花を咲かせる人生を送りたいです。花はいろいろですが美しさには変わりません。花を咲かせるには基になる生活が大事です。
聖書の言葉です。
「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。」
新約聖書 マタイ福音書7:24~27
連休はいかがお過ごしでしたでしょか。我々夫婦は出かけることもなく家で過ごしました。
出かけたと言えば金曜日、和子先生と「県民の森」に行きました。前日木曜日は強風で外に出る気持ちが起こりませんでした。金曜日は風が前日よりは少し収まりました。
県民の森は新緑がとても鮮やかできれいでした。県民の森は大きく二つのゾーンに分かれています。いつもは広い方に行きますが、金曜日は第二の広場に行きました。
ここは「行方平地の森」と名付けられ、草原を進むと起伏のある森に行きます。散歩道も坂が上り下りになり運動にも良いところです。近くには古墳がありうぐいすの鳴き声が聞こえてきます。
二人で歩きながら「那須のようね。」と和子先生。再び第一の広い草原に戻りました。その草原を見ながら思ったことは、イエス様が五千人の人達に食事を提供した場もこんな感じかなと黙想しました。
聖書に「群衆には草の上に座るようにお命じになった。」(マタイ14:19)とあります。県民の森は五千人は無理かと思いますが千人以上は集まれる場所です。その日、そこには10人足らずの人しかいませんでした。
県民の森を後にし、次に行ったのは「道の駅」でした。駐車場満車、人々が手に手に荷物を持って歩いていました。自然豊かな県民の森には10人位の人。大きな建物、野菜売り場等が並んでいる道の駅には沢山の人人。
潮来には自然の豊かな場があるのに、人は道の駅に集まっていました。今、イエス様が昔のように県民の森で奇跡の業をしたら、人々は続々とこの草むらの上に来るかと思いました。
イエス様が人々の興味を引きつけた働きに癒やしの奇跡がありました。今日、イエス様のような奇跡の癒やしは見られません。イエス様が癒やしの業を行ったら数千人の人々が県民の森に集うのではないかと、そしてステージを中心に大きな伝道が出来るであろうと色々なことを考えてしまいました。
イエス様の初期の伝道の場は、県民の森のような、そして霞ヶ浦のような所でした。
日本のリバイバルがここから始まり世界に広がる夢。私のゴールデンウィークに受けた恵みの一つでした。静かな森の中を散策しながら黙想するのもいいですね。
4月
夏頃になると会堂の姿が現れてきました。ある人がこれを見てここに教会が出来るのかなと思いながら自転車で来て眺めていたそうです。山上修兄でした。彼は音楽に素晴らしい賜物を持っていました。小さい頃から同じ潮来にあるバプテスト教会に通いそこの教会員として信仰生活を熱心にしていました。しかし色々なことがあり信仰から離れお母さんと二人で生活していました。ですが経験した神様の恵みを忘れることが出来ませんでした。元の教会に戻ることも出来ずにいました。会堂建築を見ていた山上兄に加藤姉は「山上君ではないの。」と声をかけめぐみ教会にとつながりを持つようになりました。また大塚野の永松さんは国道を通りながら会堂建築の姿を見、完成した時に自分から教会に来て「ここに入りたいのです。」と話されやがて洗礼を受け熱心な教会員になりました。今はご夫妻揃って東京の娘さんにお世話になっています。箕輪姉も会堂を見て導かれました。会堂は伝道するに大きな力を持っていることを知りました。ただ残念なこともありました。以前の教会は小さな会堂でしたが小学校から近かったのでだいぶ小学生が来ていました。今の場所は小学生が自分で来るには来づらいかなと思います。しかし以前の会堂の時最後の頃は小学生が少なくなってきました。時代の変化もあったと思います。会堂が大きくなった事によって今まで出来なかったことも出来るようになりました。園の親子を母の日とクリスマスに招くことが出来るようになったことです。駐車場も広くなりました。この年二回の音楽礼拝には親子合わせて100名位集まりいつもは広い会堂が狭くなってしまうようになりました。また地域の方が会堂を利用して音楽演奏会を開くようになりました。いままで教会に全く関係のない人たちが教会に足を運ぶようになりました。地域に開かれた教会との祈りをもって建てた会堂は地域の人にもアッピール出来るようになりました。今年も5月20日に潮来の人が会堂を利用して記念演奏会を開きます。初めてキリスト教会に入る方々も多いと思います。会堂は伝道によい影響を与えます。
教会堂と牧師館(牧師の住居)が同じ建物の中にあるのは日本では珍しくありません。それが普通と思っている雰囲気があります。しかし諸外国では別になっているのが当たり前で一緒になっているのは珍しいくらいです。一緒になっていると牧師のプライバシーは独立されなくなります。牧師夫妻は献身していますからそれでも受け入れますが牧師の子どもたちにとっては大きなプレッシャーとなっています。日曜日になると自分の部屋が集まりのために使われます。以前は日曜学校の分級にと利用されていました。今回、会堂を建てる時はすでに牧師の住まいはありましたので会堂を中心に大胆な設計を立てることが出来ました。必要なのは牧師室だけです。二階に小さく設計しました。次に建築業者です。どなたにお願いするかあてがありません。祈りました。最善の建築業者が備えられるようにと。神様はこのことにも不思議なことをしてくださいました。O姉妹が中学で働いていた時、たまたま隣の机になった先生が教会堂を建てる話を聞いてとても興味を持ちました。自分はキリスト教の建物を建てるのが夢でもあるとO姉に話されました。そして牧師さんに会わせて欲しいと申し出、会うことになりました。住谷さんです。住谷さんは建物の基礎から我々に話され、今の大工さんは研究が足らない。時代はどんどん進んでいる。自分は最善の研究をしている、といろいろなことを話されました。聞いている我々は建築に素人ですからたくさんのことを学びました。その当時まだ取り入れている家が少ないときでしたが「外断熱」型にすることに決めました。そのため住谷さんは学校を辞め建築に集中するようになりました。見事な設計を礼拝堂に作ってくれました。当時まだ難しい曲線の柱も取り入れ、礼拝堂の空間が広くそして高く、音響にも注意をはらって造り上げてくれました。費用も儲けなしの予算を提示してくれました。今の会堂が出来るまでに神様はいろいろと不思議なこと、我々の思いつかないことを次から次へと行ってくださいました。(住谷さんはこの後、教会堂を続けて建てるようになりました。鉾田教会もそうです。)あれから16年になります。
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このような大きな建物を建てるのは私にとって初めてのことです。費用の目途が出来たら次に土地です。幸いに加藤姉がとても広い土地を使ってくださいと申し出てくださいました。そのために田であった土地を埋め立て整備してくださいました。それだけでなく宗教法人取得のために土地が借地では認可が下りないことを話すと水郷めぐみ教会のために分筆して660㎡を教会に寄付をしてくださいました。土地が与えられたことは大きな感謝です。姉妹は自分の信仰の証としてしますと、話されました。特に田舎で教会に来る人は皆さん自家用車を使います。そのため駐車する場所が必要です。また何か行事がある時にも数十台の車が来ます。広い駐車場を提供していただいていることは伝道の面においても大きな感謝です。春の母の日礼拝、そしてクリスマス礼拝に多くの人を招くことが出来るのも広い駐車場があればこそです。また、私たちも苦労なく毎週車を停められます。これほど広い駐車場があることに多くの教会から羨ましがられていますし、都会から来た人は驚きます。私たちは広い駐車場を整備し、貸してくださっている加藤姉の信仰と気持ちに応えなければなりません。私も出来るだけ草刈正雄をしていきます。これから雑草の時期です。困ることもあります。近所の方が犬を連れて散歩します。犬の後始末をしないでそのまま残している時があります。特に芝の上に時々見られます。また近くの職場の方が教会の駐車場をスピード上げて通り抜けることもあります。(これは幾度か注意をしています。)建築費用と土地にめどがつきました。後は設計です。建物は一度建て上げると変更はできません。そのため設計には最新の注意が必要です。また教会堂は神を礼拝する場です。集会場ではありません。私たちはまず他の会堂見学に行きました。講壇の位置、洗礼槽、音響、交わりの部屋、トイレ、台所等、決めなければならないことが多くありました。しかしその基本は神様を礼拝する礼拝堂を第一にすることです。教会堂と牧師が住む住宅とが一緒になっていることが多いです。私たち家族も前任地ではそのようなところで18年間住んでいました。
(3月11日の続き)1993年から10年間、小さな教会堂で教会をしました。しかし私たちの祈りの中にもっと大きな会堂が欲しいとの気持ちが段々と起こってきました。当時の中学生の願いは風呂があり泊まれる場が欲しいでした。私は結婚式のできるような会堂が出来たらとの思いがありました。それぞれ夢をもって祈り始めました。しかし課題は費用でした。主イエス様は塔を建てるとき必要な費用があるかどうか腰を据えて計算することは大切と語られました。(ルカ14:28)当時の教会には月定献金をする人は数名でした。思いはあるが費用はない。これが現実でした。それに教会は単立のため教団というバックはありませんでした。教会堂を建てるとき教団に属していると全国の教会に献金依頼をしますが我々は単立です。どうするか祈りに祈りました。その時与えられた御言葉は「鼻で息する人を頼りにするな。」(イザヤ2:22)でした。当時、水郷地区では新しく会堂を建てる教会があり水郷聖会などでは教会の役員さんが講壇から献金の依頼の話をしていましたが水郷めぐみ教会にはその場がありませんでした。私はイザヤの御言葉が与えられてから人に献金のお願いをするのでなく神様に願いをしようと信仰が与えられました。それから祈りの中に毎日会堂献金のことが祈られました。そんなときに小羊保育園の認可の話が持ち込まれてきました。それまでは無認可経営でした。社会福祉法人の認可を受けるには無認可の園を一度閉じる必要が出ました。20年間の働きを閉じるには寂しさもありましたが無認可より認可園のほうが補助も入り運営が助かることがわかり無認可保育園を一度廃園にすることにしました。廃園の手続きをしているうちに国が行っている中小企業共済事業団から積み立てが下りるとわかりました。それも大きな額でした。これは予想外でした。それならこのお金を全部建築資金に回せるとわかり費用のめどが立つようになりました。神様は会堂の必要のためすでに前もって国の制度を利用して準備をしていたのです。神様の業は予想のつかないものでした。塔(会堂)を建てるための費用にめどが立ったのです。
先週28日教会に速達で封筒が来ました。だれかなと裏を見るとY姉からでした。その名前を見て大変驚きました。Y姉は1993年に水郷めぐみ教会始まって間もなく二人の小さなお子さんと教会に来ました。始まったばかりの教会に新しい人が来たことに私たちは神様に感謝の祈りを捧げとても喜びました。礼拝生活を続ける内に信仰が与えられ洗礼を受けました。そして日曜学校の奉仕をしてくれるようになりました。物静かな方でしたが信仰はしっかりしていました。勤務時間が礼拝時間と重なるときには礼拝前にきて祈り勤務地に向かいました。愛餐会には得意な料理を発揮し美味しいごちそうを毎回提供し食べるのを楽しみにしていました。しかしケアマネージャ試験を受けたり、勤務がケアマネージャに変わり礼拝を守ることに困難が出てきました。そして新しい地東京に移転をしました。この頃になると教会との関係も薄くなり連絡も取れなくなってしまいました。あれから15年音信不通でした。時々祈りの中で今どうしているかなと思い出すこともありました。そのY姉から速達が来たのです。中の文面は「長い間教会を離れてしまい先生たちに合わす顔がありません。昨年夏頃から教会に行きたいとの気持ちが湧き上がりいろいろ教会を調べ同じホーリネス系の教会を望み新宿にある淀橋教会に行くことになりました。」と書いてありました。「そして正式に淀橋教会員として信仰生活をする決意もしました。4月1日イースター礼拝で転入会式をします。」とも書いてありました。私達夫婦は祈りが聞かれた。あのYさんが信仰に戻ったと主の御名を賛美しました。和子先生は涙を流しながら喜んでいます。自分は放蕩娘と言っていました。しかし取りも直さず信仰に戻ったことは大きな感謝です。姉妹には長いブランクがありましたが一度受けた恵みは魂の中に留まっていたのです。サタンは消そうとしました。しかし神様は守ってくださいました。これからは教会籍も移してキリスト者として再出発をしますと決意がありました。感謝ですね。魂に植えられた恵みは再び花を咲かせます。福音にはそれだけの力があります。
3月
先週の日曜日礼拝は東京柴又教会で説教をさせていただきました。葛飾区柴又は映画「男はつらいよ」の舞台です。故渥美清演じるこの映画は47話まで続きました。この記録はまだ超えられていません。とてもユーモアのある娯楽映画です。柴又は帝釈天という大きなお寺があります。その参道が映画の舞台になっています。参道両脇は昔風の商店街が並びたくさんの観光客がいました。教会はそこから歩いて約5分という近くにあります。現在の牧師は栗原義忠師。奥様の園江先生は68歳で一年半前に召されました。教会は三階建て、一回が礼拝堂、二階は交わりの階、三階は牧師居住区。大きな会堂です。当日礼拝者は60名くらいいました。私は「種まき」の話をしました。蒔かれた種は全部実を結ぶのではない。イエス様はこのたとえを語り伝道の大切さ、伝道の困難さ、そして伝道は必ず実を結ぶことを語りました。伝道の困難は都会でも同じです。トラクト配布、音楽礼拝、バザーなど教会で出来る伝道をしています。しかし効果は思わしくありません。教会に来ることを妨げているサタンの働きが強いのです。伝道に対する意欲が削がれることもあります。しかし私は語りました。「今ここにいる皆さんは伝道の結果です。蒔かれたお言葉を聞き、受け入れ、神様の恵みを経験した皆さんです。蒔かれた種は皆さんによって花が咲いたのです。」これは柴又教会だけではありません。水郷めぐみ教会の礼拝に来ている私たちも御言葉を受け入れ、お言葉の花を咲かせ、実を結んだ証です。あの異教の大きな寺院には参道を埋め尽くすほどの人々が歩いていました。その一区画脇の教会では神様に対する礼拝が行われ賛美が捧げられているのです。私はこの現実に感動しました。それは日本国中、世界中で同じことが起こっているのです。御言葉の花は私たちによって咲いているのです。よい地に落ちた種は芽を出し、花を咲かせ実を結ぶのです。柴又教会の皆さんは家から駅にまで歩き電車を乗り継いて教会に来ていました。駐車場がありません。礼拝に来るまで時間がかかります。信仰の花を咲かせている人の顔は輝き主イエスを仰いでいます。
40年前、茨城教区内の牧師はみな若かったです。その中で竜ケ崎教会の野田先生は70歳くらいでした。私たち若い者から見たら野田先生はとても老人に思えました。先生は戦後福音十字軍伝道により開拓が始まった伝道をそのまま受け継ぎ竜ケ崎教会を立ち上げました。礼拝堂には東京聖書学院から運んできたテラスがありしゃれた作りでした。当時聖書学院は新宿から東村山に移動する時期でした。移転のために建物の解体が始まりました。解体した材料は各地に運ばれ利用されていました。私がいた潮来教会の建物は小さな建屋でした。これも進駐軍がアメリカに帰国した後残った建物を解体して作られたものでした。野田先生は幼稚園も始めキャンプには卒園生が多く来ていました。しかし暑いキャンプ中はほとんど横になって休んでいました。年を取るとはこうなると思いながら一緒の部屋で休みました。野田先生は腹話術をされていました。私は先生の腹話術をみて同じように腹話術を習い始めました。最初は白い靴下での練習。そして伊豆の天城山の二泊三日ぶっ続けの練習、私も一人前に腹話術ができるようになりました。みどり姉はこの最中に生まれました。その時私は留守でした。野田先生はキャンプにお人形を連れてきて熱演してくれました。キャンプにはオリエンテーションという遊びがあります。地図を見てポイントを探しながら施設付近を回ります。今はミニオリエンテーションですが当時若い私たちは施設から遠く離れる一番行動の広いものを選びました。先生と6人から7人の生が組を作りポイントを探しながら回りました。決められた時間になっても戻らないグループがありました。夕方になり我々は捜索隊を作り探し回りようやく見つけるようなこともありました。時には蛇との遭遇。色々楽しい?思い出があります。しかし今は茨城教区でバイブルキャンプをしているのは水郷めぐみ教会だけです。キャンプはイエス様を伝える良い時です。私は古希を過ぎました。(和子先生は来年古希)若い時のようなことはできません。次の世代の時代になりました。そして新しい考えでキャンプが進められています。
バイブルキャンプは私たちが茨城教区に派遣された43年前は存在していませんでした。またキャンプをする施設も整っていませんでした。最初は県が農村に作った集落センターを借り、布団を持ち込み、食材を買い込みのキャンプでした。若い私たちは苦労とも思うことなく子供たちと楽しく過ごしました。やがて教区の教会にも声をかけ教区主催バイブルキャンプになっていきました。水戸、鉾田、吉川、竜ケ崎、潮来と5つの教会でした。そうこうしているうちに白浜に県の青少年自然の家が完成し建築当初からそこを借りてキャンプをすることが出来るようになりました。それまでは北茨城市の県の施設、あるいは牛堀、鉾田にある集落センターなどで続けていました。青少年自然の家が出来てからは食事、布団、部屋が完備され我々は生徒に向かう時間だけに集中することが出来るようになりました。それまでは三食の食事作り、食材の買い物、寝具の準備などに時間を多くとられていました。当時はそれぞれの教会に日曜学校がありキャンプを楽しみにしている生徒たちがいました。年に一回会うと成長の大きさに驚きました。中には成人になりキャンプを手伝う人も現れてきました。このように各教会からキャンパーは参加していました。しかしだんだん参加する生徒が減少し最後はめぐみ教会からの生徒で参加者の半分以上占めるようになりました。牧師だけが参加しキャンプの働きをする教会も出て水郷めぐみ会の生徒たちを世話するようになりました。そしてあの東日本大震災をきっかけに教区主催のキャンプは取りやめになったのです。我々はとても残念でしたが教区の意向が決まりキャンプは水郷めぐみ会のみで行うように姿を変えていくことになりました。その後も我々の教会のキャンプに参加したいと申し込む小学生は増えてきました。先日2017年の教団全体のキャンプ報告(各教区主催)が送られてきました。我々の参加者生徒は73名。教団内では一番多いキャンプです。キャンプは体力が必要です。小学生と行動をともにするだけの体力が必要です。それと奉仕者が必要です。今年のキャンプにも奉仕者が与えられるよう祈ってください。
私は今年の誕生日で満71歳になります。記憶のある時にめぐみ教会の歴史を残したいと思っています。水郷めぐみ教会は1993年創立です。最初の礼拝は家の台所。それから2カ月後に小さな家を借りることが出来ました。故小峰ご夫妻の献身の結果です。小峰ご夫妻はこの会堂で洗礼を受けました。当時、大人の礼拝は数名でした。しかし子供たちはどんどん増えて特集をすると会堂に収容できず二回に分けて集会をしたこともありました。小さな教会ですが洗礼式、結婚式、葬儀も行われました。ペルー人が幾人も礼拝に来ました。日曜学校宿泊もしました。女の子は会堂で男子は私と一緒に狭い庭にテントを張り一泊。そこで気づいたことは地面が堅かったこと、前の道路を走る車の振動、道を歩く人の会話がテントに一晩伝わり寝られなかったことでした。風呂はクリンセンターの浴場。中学生でしたので楽しい時を過ごしました。子供の集会(日曜学校)は近くの小学校から生徒がたくさん集まり今では考えられない子供の集会が毎週行われていました。当時、私の車はワンボックスカー。それが私の部屋になり祈りの場また休む場になりました。教会堂の前を歩く人は毎日曜日玄関にたくさんの靴が並んでいるのを見てここは何をしているところかと思っていました。これは新会堂で洗礼を受けた人が洗礼後に話してくれた言葉でした。当初この家を借りた時は毎月の賃借料が払えるか心配していましたが一度も未納はありませんでした。必要を神様が備えてくださいました。教会の働きには拠点となる会堂は大切です。パウロたちの最初の伝道を見ると安息日ごとに会堂において説教していたことが使徒言行禄に記録されていることがわかります。当時私は45歳。若かったですね。怖いもの知らずに伝道一途に進むことが出来ました。身体には力がみなぎっていました。和子先生も伝道の喜びに満ちていました。保護者の方々は協力的で子どもたちを車で教会まで送り迎えをしてくれました。潮来小学校の先生もどうして皆な教会に行くのと不思議がっていました。この頃からバイブルキャンプに参加する子が増えていきました。
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