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10月






栗原先生の午後の研修で「奉仕においての教会形成」を学びました。役員会においても奉仕のことが話し合われています。




奉仕には色々あります。会堂掃除は毎週あります。教会の小学生も便所掃除をしています。そのほか礼拝での証し、奏楽、食事当番、送迎、草刈り、台所の後片付け等などです。




そして今回、礼拝の司式を加えようとしています。司会ではありません。司会は会合を進めるためにリードする立場の人です。結婚式の披露宴にも記念会のときにも司会者は立ちます。




最近は多くの教会で司式者と呼んでいます。司会者と司式者の違いは何か。司会者は会合をスムーズに進める働きをします。しかし礼拝は会合ではないのです。




礼拝は神様を拝む式典といわれるようになりました。すなわちそこに存在する神様を拝むこと。礼拝全体が神様に向かって行われる我々の奉仕(サービス)と考えられるようになりました。




司式に立つ人は自分の考えを話すのではなく、司式をすることによって神様との関係を証しするのです。神様を礼拝するを代表して進めるのが司式者の務めです。




司式者は自分の奉仕が神様を礼拝することの働きであるように事前の祈りが必要です。司式者の進める言葉によって礼拝者が気持ちよく聖歌を歌い、交読を読みます。祈りは慣れるまで紙に書き、自分で読んでみておくのがよろしいかと思います。




祈りの中で説教することはよくありません。自分の感想は言わずに礼拝順序にそって礼拝式をスムーズに進め、説教者が説教しやすいようにバトンタッチできるようにします。




しかし最初から完璧に出来る人はいません。講壇に上がるだけでも普段と違う緊張があります。掃除はそんなに緊張しなくても出来ます。司式の奉仕は礼拝を神様の礼拝として進める責任があります。易しいものではありません。




しかし私達にはそれぞれに神様からの賜物が与えられています。




「司式者の任務は礼拝をスムーズに運び、会衆の心を整え神にむかって讃美し祈れるように、また御言葉を聞く備えをすることである。余計なことは言わないようにしよう。」
(教会員手帳)








先週月曜日、火曜日、日本ホーリネス教団南関ブロックの牧師研修会が上野教会を会場にありました。田舎ですと牧師仲間と会う機会が少ないので色々な先生方とお会いし、交わりを持つことが出来たことは恵でした。




今回の講師は村上宣道師とフジテレビでアナウンサーの訓練をしていたPBAの鈴木和子氏でした。




色々教えていただきましたが特に驚いたのは村上先生です。前日の日曜日は礼拝と伝道会の2回のメッセージをし、研修会では月曜日に2回、火曜日は講義と説教と2回しました。




私は日曜礼拝の説教が終ると疲れを感じます。しかし村上先生は疲れを感じさせない奉仕でした。それも今年81歳になる先生です。




テレビで見られている方はお分かりと思いますが髪の毛も黒々、体形もピントしている。歩き方もスタスタと歩かれる。本当に81歳かなと疑ってしまうような姿です。




私は67歳です。ですから言われます。もっと元気にしてくださいと。しかし私の尊敬する松村悦夫牧師、松木祐三牧師は50歳代や、60歳代で召されています。神様は人間を皆同じく造られたのでないことが分かります。




人には神様から与えられた人生があります。余り他の人と比べないようにするのが大事と教えられてきました。しかし、80歳まで元気に生きられたら感謝です。そして私達クリスチャン仲間に村上先生のようなお方がおられることは励ましになります。




先生は余りクヨクヨしない、明るく前向きに生きる、そんな感じがします。周囲の方々もその生き方に惹かれるのでしょう。




火曜日の最後、午後の集会は一般公開の聖会説教でした。その中で先生が引用された聖書はフィリピ人への手紙1章でした。特に20、21節の御言葉を語られました。




「私の身によってキリストがあがめられること。」(口語訳)と書かれています。




私達キリストを信じる者にとって人生の長さは余り大事ではない。生きているときに自分の生活がイエス・キリストをあがめる生活になっているかか大事ですと、語られました。



9月






今日の講師の先生は柴又教会の栗原義忠先生です。我々の年齢は柴又といえば「男はつらいよ」の渥美清を思い出しますが今の若い人はピント来ません。




「男はつらいよ」は渥美清が主演を演じた人情味とユーモアが溢れた映画です。正月映画として40作以上作られ日本の映画記録を作りました。あの有名な中野雄一郎師はDVDを全作品持っているといっています。




渥美清演じる「寅次郎」の家は柴又教会の近くにあります。柴又駅前には寅次郎の銅像が立っています。栗原先生は私達夫婦が水郷めぐみ教会を始めた時、応援に礼拝説教に来てくださいました。




当時、教会を始めた私達はどこからの祝福も援助もなく返って反対の中にありました。そんな中を先生は教団の責任役員としての立場にありながら私達の開拓伝道を応援してくださいました。今の会堂が献堂式を迎えたときもご夫妻でお祝いに来てくださいました。




志賀初江姉が訓練生として学院に入ったとき、一年間志賀姉をミッション生として受け入れてくださり信仰の訓練と学びをしてくださいました。志賀姉はそこで神様からの直接召しを確信し献身者としての歩みに進みました。




先生ご夫妻は茨城県が好感度全国ワースト1になったと聞いて、この一年間5回も茨城県に旅行に来てくださり茨城県の経済発展を支えてくださいました。茨城県知事に伝えてもいいような貢献です。




志賀姉は「柴又教会は教会の形がよく出来ている。教会員全員で教会を支えています。」と機会あるごとに私に話していました。




教会は牧師が上に立って信徒が牧師の下で奉仕すると考えられてしまいますが、教会の特徴はコイニノア(交わり)です。確かに牧師は講壇からメッセージを語ります。しかしそれは上下関係を表すものでなくそれぞれに与えられている恵の分かち合いをしているのです。




教会は恵の分かち合いの意味があります。私達の教会は人数が多くありませんがお互いの恵を分かち合いキリストの身体(教会)を建てていきましょう。










年月の流れの速さを年々感じています。暑かった夏の時期があっという間に過ぎ最近、朝夕の寒さを感じています。




召天者記念礼拝を今年も迎えました。この一年間に天に召される人も多くありました。高齢者、まだ若いのにと思われる人。人間の一生は様々です。




長生きしたいと思うのはだれでも同じです。私も若いときのように身体の動きが思うように出来なくなりました。




今年も夏の草刈り。菜園や庭の草抜きをしました。雑草は伸びるのが早く、夏だけでも3回草刈り、草抜きをする必要があります。草抜きをするとき膝を曲げ、腰をかがめてするので負担が大きくなります。




先日、最後の草抜きをしました。いつものようにしゃがんでしていたところ腰に痛みを感じたので近くのカイロに行きました。施術を受けた後、身体が軽くなり歩く早さもさっさっと歩けるようになりました。




カイロで何回も言われたことは「平山さんはだいぶ身体が堅いですね。」でした。「筋肉が衰えていると身体が堅くなりますよ。病にもなりやすいですから運動をしてください。」と、アドバイスを受けました。運動は筋肉の衰えを少なくする効果があるとのことでした。




イエス様はペテロに「あなたは若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」と言われました。若いときの状態と年をとってからの状態とは違うことを教えています。




私は昭和22年生まれです。戦後のベビーブームと言われた時の生まれです。私の両親は既にいません。ですから介護をすることもありません。これからは私達ベビーブーム世代が介護を受ける時代です。




しかし私には大きな希望があります。天国に行けることです。




今年100歳を過ぎて亡くなった方がおります。いつお会いしても天国への希望を持っていました。車椅子になり、寝たきりになり、そして静かに地上での歩みを終え天国に行かれました。私もそうありたいと願っています。










先週の週報、水郷便りに台湾での土石流のことを書きました。その時私の大きなスーツケースを籠に入れそれを背負って運んでくれた人のことを書きました。




台湾に行った人は分かると思いますが日本人に対して彼らはとても好意的です。長い日本の植民地を経験しながらです。国際的に見ても一番日本に好意を寄せていいるのではないかと思います。




東日本大震災で多くの外国から義捐金が送られてきました。その中で一番多い援助をしたのが台湾と言われています。台湾は日本との外交関係はありません。国の大きさは日本の九州くらいです。




台湾の人たちは隣国の日本を愛しているのです。私のスーツケースを運んでくれた人はおばさんです。山の中腹で柿やお茶を栽培している農家の人です。困っていた私を見かねて重労働を厭わないで助けてくれました。




先日東京オペラハウスで合唱管弦楽団の演奏を聴きました。全員がキリスト者です。数百人のメンバーの中に多くの台湾のキリスト者が参加していました。責任者はそのことを紹介していました。




彼らは日本の伝道の為ならといって自腹で来日し、みんなと練習を重ねてきました。東京の次は仙台で復興の一貫として演奏会をしました。




演奏会帰りかけにお茶の水会館理事長をしている榊原師にロビーで会いました。師いわく、10年前台湾のキリスト者は人口の3パーセントであったのが今は6~7パーセントにここ10年で倍になったと。




台湾の歴史は諸外国の侵略を受け、今も厳しい国際状況の中に置かれています。しかし神様は今、台湾を愛しておられます。




私たち夫婦に親しくしている台湾老夫妻がいます。この夫妻はもともとの原住民です。日本時代は高砂族とよばれていました。アメリカと日本が戦争をしていたときジャングルで夜襲をかけるとき日本兵の先頭に立ち一番先に犠牲になった人たちです。




それでも日本人を愛し、祈り日本に援助を惜しみません。榊原師の話によるともうすぐキリスト者が10パーセントになるだろうといってました。日本はまだ1パーセント足らずです。何とか2パーセントに増えて欲しいです。









今年の夏、関東地方以外で大雨が続きました。大雨が降れば被害が出ます。時には人命を奪うほどです。




8月22日広島で豪雨による土砂災害が起こり70名を超す人命が奪われました。昨年は伊豆大島でも豪雨による土砂災害が起き尊い命が亡くなりました。




大雨は聖書にもあります。ノアの洪水です。40日40夜雨が降り続いたと書いてあります。




私も土砂災害(土石流)を経験しました。2004年7月でした。台湾に行きました。滞在したのは海抜千メートルの山の上。そこに着いてから4日間激しい雨が降り続きました。




山の上ですが庭が湖のようになってしまい外出が出来なくなりました。外出できないので買い物が出来ません。停電になり、貯えてあるインスタントラーメンを食べ終わった後、雨がやみ日がさしてきました。




空を見上げると数機のヘリコプターが飛んでいました。テレビも見られず、ラジオも聞けないので何が起こったかわかりませんでした。村に一台あった無線機で情報を集めると各地で大きな土砂災害が起きた。私のいた場所は道路が寸断され下山できない。ヘリコプターは私たちの頭上を飛んでいってしまう。ここは小さな集落なので後回しになったのか。このままでは食料が尽きてしまう。




意を決して集団で下山することになりました。しかし外国人の私には大きなスーツケースがある。これは車でないと運べない、どうしよう。すると村の人が竹で編んだ籠を持ってきてその中に私のスーツケースを入れ籠を背負ってくれました。




道を塞いでいる大きな岩や横たわっている木を避けながら避難所に指定されている台湾陸軍の基地にたどり着いた。そこには500名以上の人たちが集まっていた。




しかしそこからがまた大変。その先も道路が寸断されているので車が使えない。平地の災害本部までヘリが往復していた。かろうじてそのヘリに乗せてもらうことができ帰国できた。




ヘリから見る途中の風景は全く変化し私の知り合いの牧師は家共、海まで流されてしまった。これが地球の現実です。東日本大震災も同じです。今、私たちに求められるのは謙遜です。


8月






今日の礼拝には東京聖書学院の志賀修養生が長い夏期伝道を終えて母教会に戻ってこられました。




夏期伝道は実際に教会に住み込み牧師と生活を共にし伝道を学ぶことです。これは多くの神学校(牧師養成校)で行われているものです。ある者はこの期間で自分が牧師になれるかどうかの分かれ道になる厳しい訓練の時でもあります。




志賀修養生は1年は訓練生で母教会に、2年生は教団一大きい坂戸教会、今年3年生は名古屋市にある名古屋城北教会。実際、教会に牧師家族と住んでの生活は楽しいこともありますが困難なこともあります。




私は1年生が学院教会、2年生が深川木場教会、3年生は狭山市の開拓伝道でした。




3年生の時はなぜか難しい開拓伝道を任されました。一軒家を借り、そこを教会として住み込み自炊しながらの伝道です。その時私は24歳。とても若い。




修養生でありながら牧師として毎週礼拝説教から日曜学校の説教。開拓伝道ですから信徒の方はほとんどいません。チラシを作り近所を一軒一軒配布しながら教会の存在をアッピールしていました。私が牧師ですから自己責任です。




この働きは夏だけで終わることなく夏期伝道に続いて継続されていきました。そしてその年のクリスマスには5名の洗礼者が与えられました。




修養生時代に神様を信じて洗礼を受ける人が起されたことは牧師になるための大きな恵みの経験でした。背後にお祈りをしてくださった母教会の皆さまの力を感じたことでした。




また、聖書学院の教授から「修養生時代に自分の手によって救われる人を導くことはこれからの牧師生活に大きな力となる。」と言われていた言葉がありました。




あれから40年以上過ぎています。社会も教会も変化しています。当時は私も若かったです。志賀修養生はどんな夏期伝道を経験したのか、その証しを伺うことが出来ることは大きな恵みです。















こひつじ園では、先週8日(金)から9日(土)にかけて恒例の「お泊まり保育」をしました。今年は年長さんが多く46名の参加でした。




海に行ったり、カレーライス作り、花火大会など子どもたちの喜ぶことをしました。そして夜は生まれて初めてであろう親の下を離れて園で泊まる経験です。成長著しいこの年齢に色々な経験をすることは良いことです。




私は最初の海に付き合いました。台風の影響もそれほどなくまたきつい日差しもなく無事行くことが出来ました。一年ぶりに足に触れた海水の冷たさ。ドキッとしました。それでもほとんどの子が海は初めての経験なようで大きな声を上げながら楽しみました。




いわゆるミニキャンプの様なものです。これがバイブルキャンプへと繋がっていきます。




私は37年前に小羊保育園を和子先生と共に始めました。当時は認可外でしたので公的な補助はありませんでした。全部自己資金です。




信用金庫から初めてお金を借りました。保証人つきです。融資返済が心配でしたが神様の助けを頂きながら返済も完了し茨城県知事から社会福祉法人の認可を頂きました。今は子育て支援の働きも進めています。




今、日本のキリスト教会は伝道者不足です。潮来市でも20年前は4つの教会にそれぞれ主任牧師がいました。今は一つは消滅しました。もう一つは牧師がいなく巡回になっています。




背景には単独で牧師の生活を支えることに困難な状態があります。ですから派遣される教会は牧師を支えるだけの財力が求められています。




日本ホーリネス教団でも教会援助の名目で牧師生活費を援助しています。その額は総予算の20%近くなっています。私たちは牧師になって40年以上なりますが一度として教団からの補助を受けたことがありません。地方の教会では珍しい部類に入ります。




これからはこの子たちが成長し小学生のバイブルキャンプ、中高生へと繋がりイエス様の素晴らしい恵みに導かれて神の家族が大きくなっていくことを祈っています。その時まで長生きしたいと思っています。







先週バイブルキャンプが行われました。小学生参加者47名。大人12名のキャンプでした。




小学生はもっと申し込みがありましたがスタッフの関係でお断りしました。断るのは苦渋の選択でした。




伝道はイエス様を知らない人にイエス様のことを話し伝えることが基本です。その意味ではキャンプは素晴らしい伝道の場です。家を離れテレビもゲーム機も無くただ神様のプログラムの中で過ごすことは大きな伝道の働きです。応援に来てくれた修養生も驚いていました。よい経験になったと思います。




参加者のほとんどが卒園生でありました。彼らは保育園時代からキリスト教に接し小学生になってからもキャンプで神様の恵みに触れることが出来ました。長い間キリスト教に触れることになります。




子どもたちに伝道できたことは素晴らしいことです。参加者にこの経験は将来大きな恵となります。何かあったときに教会を思い出してくれるはずです。これからも参加者が増えると予想します。




その為には彼らを受け止めるスタッフが必要です。今年は学院以外の奉仕者として、教会から丈夫兄、浅利兄、白鳥姉。そして外部から高橋姉。倉田姉(長野県)そして部分参加として百合子姉。最後の野外炊飯には保護者の方も手伝いに来てくれました。感謝です。




このキャンプは38年前に始めたものです。その時私は今より38歳も若かった。リーダーとして夜も寝ないで働きました。最近は丈夫兄がリーダーとして働いてくれています。




親子礼拝に来ている子が洗礼のことを真剣に考え始めました。皆さんで大切に見守っていただきたいと思います。




私たち夫婦は行く前から体力が持つか心配していましたがお祈りに支えられ健康も守られました。キャンプが終わった翌日はふらふらしていました。でも、二泊三日間子どもたちにイエス様を語り、また行動を共に出来たことは充実した感謝の疲れです。




私たちは5月と12月に特集をします。キャンプで数十人の小学生にイエス様を伝えます。これは大きな伝道です。

7月






今いよいよ、明日からバイブルキャンプがはじまります。




キャンプは私たちが潮来に任命されてから始まりました。最初は教会独自で。そして教区合同で行われるようになりました。しかし最近は参加者が年々少なくなり、ついに教区主催のキャンプは2年前から中止になり今は水郷めぐみ教会独自になりました。




今年の小学生参加者は47名。これに対して奉仕者が足りません。聖書学院から2人の修養生が奉仕に来てくれました。それでも女子の奉仕者が足りません。そのため今はキャンプ参加を断っています。




今日27日は潮来で3つの神社のお祭りがあります。「延方相撲祭り」「辻の神社祭り」「大洲の祇園祭り」「日の出地区祭り」そして今週金曜日から3日「潮来祇園祭り」と続きます。




それぞれの祭り主催者は子どもたちの参加を求めています。(今月19日(土)は「こひつじ祭り」が園で行われました。梅雨明け前の不順な天気でしたがまつりの間守られました。地域の方々が約500名近く十字架の前に集い楽しい時を持ちました。)




潮来は祭りが多いです。潮来だけではありません。日本の保守的な地方の町では当たり前のように行われています。そしてこのことが日本の伝道を難しくしている原因の一つになっています。




世界で最高の伝道者パウロ先生は偶像の多いアテネの町で伝道をしましたが難しかったようです。失望感の中、主イエス様はパウロに語りました。「怖れるな。黙っているな。語り続けなさい。この町には私の民が大勢いる。あなたには私が付いている。」と(使徒言行18章)。




キャンプに参加する小学生のためお祈りください。彼らはこひつじ園で神様を知りました。小学校は神様否定の教育です。彼らが心から神の存在を受け入れ主イエス様の救いの恵を体験できるようにお祈りください。期間中、安心安全に過ごせるようにお祈りください。活動責任者の丈夫兄を始め奉仕者の働きが守られるよう。お祈りください。




そして私たち牧師夫妻の健康のために。責任者が留守になるこひつじ園が守られるように。









「次世代育成」これは今年度日本ホーリネス教団の標語です。




教団統計10年間が毎年発表されています。教会学校(小学生から)の部は毎年減少して10年前の半分になっています。少子化の影響を教会も受けているのが現実です。




国立・人口問題研究所によると将来日本から半分近くの自治体が消滅するといわれています。これも少子化の影響です。




ですから教団では青少年の伝道に力を入れています。中学生、高校生を教会に導こうと。しかし私は考えています。人生は中学生から始まるのでなく生まれたときから始まっていると。それゆえ次世代の対策は生まれた赤ちゃんから始めないといけないのではないかと。




赤ちゃんも一人の人間として受け止めることの大事さを考えます。特に私は「こひつじ園」の働きをしていますから身近に感じます。




今年もキャンプが来ました。茨城教区では生徒が集まらないからとのことで教区主催のキャンプは2年前に中止になりました。確かに生徒の数は減少しています。そんな中で水郷めぐみ教会は毎年沢山の参加者に恵まれています。昨年は40名を超えました。今年も40名を超えています。




少子化といわれている時代、それも田舎の教会で毎年これだけの小学生がキャンプに参加してくれることは素晴らしいことです。こひつじ園の卒園生がほとんどを占めています。続けての参加者も多いです。




でも困ったことがあります。これだけの参加者をカウンセリングする人が足らないのです。最近は聖書学院の助けを頂いて奉仕者を送ってもらっています。今年は男子2名です。しかし参加者は女子が多いです。女子のカウンセラーが欲しいのです。




大人は職業があります。二泊三日も休みを取るのは簡単でありません。青年や大学生は比較的休みを取りやすいようですが潮来周辺に大学はありません。




今、あちらこちらに声をかけていますがなかなかカウンセラーが見つかりません。せっかく多くの子どもたちが集まるのですから。伝道のチャンスですのですから。奉仕者のためお祈りください。








水郷聖会が終わりました。




今年の聖会講師の竿代照代師は江戸時代より庄屋を拝して稲敷地方を指導していた名家、そして祖父は霞ヶ浦沿岸50万坪を開拓しコメの取れる恩恵をもたらし、お父さんは元リンレイワックスの社長。




御自身は東京大学法学部政治学科卒業。東大法学部は日本で一番高度な学びをする学校です。同期には自民党元幹事長佐藤紘一。細川政権で国務大臣を務めた江田五月、財務省では局長を務めた人、財界ではJR西日本社長を務めた人と、そうそうたる人物がいます。




しかし竿代先生はそれらを一切気にしないで伝道者の道に進みました。先生は説教の中で「おじいさんは政治家になる人は狐か狸」と言ったと語っていました。政治家にならなくても国家公務員、財界に出ても日本に大きな働きを残せる人です。聖書で言うなら使徒パウロのような人です。




東大を卒業後、神学校に入り宣教師としてケニアに行き、今は東京で牧師として神の働きに従事しています。




使徒パウロは自分の履歴を主イエスのために全て捨てました。失ったというのが正確かも。しかしパウロは主イエスの恵みに比べると、それらは塵あくたと言っています(フィリピ手紙3章)。




私は今までこの言葉を理解したと思っていましたが今回の聖会で目の前に竿代先生を前にして話をさせていただき実感として受け止めることが出来ました。




明治に東大の教授をしていた内村鑑造は「一番人間に尊いものは主イエスに対する信仰だ。それは田舎のおばあちゃんでも持つことが出来る。」と言いました。




私たちの信仰はどんな学歴よりも、国家の地位よりも遥かに優れていると聖書は語っています。それゆえ我々は信仰に対してもっとプライドを高く持ち自信を持つべきだと思います。




仕事に優劣は無いと信じています。しかし神様を信じているか信じていないかは大きな差です。




私たちは神様から選ばれています。神様は私たちを選んでくださってご自分の子としてくださっています。この世で何が素晴らしいか。神の子としていただいたことが一番です。







今年も上半期が終わり下半期に入りました。今日は7月です。本当に時間の流れの速さを感じています。




7月は色々な行事があります。今日は水郷聖会です。今回、私は聖会の合同礼拝にいます。




19日はこひつじ園の「こひつじ祭り」です。28日~30日はキャンプです。そして間に元園職員の結婚式もあります。私の誕生日も今月です。(余計でした。)




聖会でもそうですが一つ一つの行事には多くのエネルギーが必要です。何か一つ立案、準備、実行を経験するとよく分かります。聖会は一年係りで準備を進めています。




7月はクリスマスに次いで忙しい時です。忙しいときが暑い時期と、寒い時期になっていて体調管理も大事です。責任の一環をを担っているものとして重さを感じます。




それに毎年同じようなことをしていますが、責任者である私が年々高齢になり(今は立派な高齢者です。)体力が落ちていることがよく分かります。ですから段々同じ事が困難になっています。これは行事だけでなく日常の生活でも同じです。




イエス様のこの地上での生活は33年間と言われています。休む暇もない行動、働きをされました。33歳は私も経験しました。何でも出来る年齢でした。疲れも残りませんし疲れの言葉さえ感じたことがありませんでした。今は何をしても疲れます。




使徒パウロは若いとき当時の世界中を伝道して歩きました。しかし高齢になった最後はローマで一軒家を借りて住み、そこを訪ねてくる人に御言葉を語る生活になりました。聖書はパウロの生活をそこで終えています。




7月は好きな時期です。夏野菜が出来ます。耕し、種まき、苗植え付け、除草など同じ作業をしますが段々と体力の衰えを感じます。そろそろ畑仕事を辞めようかと考えるようになりました。




しかし、高齢者には高齢者の生活があります。壮年期から高齢者の生活にシフトしなければなりません。最近どのようなシフトするか考えています。シフトのやり方を間違えると大きな失敗をします。76歳で2人の孫世話している高齢者もいます。



6月






今回アメリカに行き、いくつか教えられたことがありました。ここに少しづつ書いてみたいと思います。




初めにユダヤ人のことです。ニューヨークセントラルパーク隣にユダヤ人博物館が建っています。バス、地下鉄を乗り継いで行きました。アメリカでユダヤ人は経済に大きな力を持っています。民族団結は強いものがあります。彼らは2,000年間国土を持たずに世界中に離散して民族の団結を守り通した民族です。




旧約聖書はユダヤ人の歴史そのものが書かれています。この博物館には紀元前の発掘が考古学的にされた遺跡が展示されています。旧約聖書巻物(当時の聖書は巻物に書かれていた)、壺、銅器、生活用品等です。




その中で特に私の目を引き付けたのは旧約聖書ヨエル書1:3節の御言葉が石に刻まれていたのを見た時でした。「これをあなたたちの子孫に語り伝えよ。子孫はその子孫に その子孫は、また後の世代に」です。




彼らはこの言葉を忠実に守り続けているのです。そして信仰の継承を子孫に伝えてきたのです。そして今も続けられています。ここにユダヤ民族の強さがあるのです。




今、日本ホーリネス教団では信仰の後継者作り、次世代育成が叫ばれています。これは日本のどこの教団にも当てはまることです。




アメリカでインマヌエル教団出身者の方にお会いしました。自分の系図を書いてくださいました。今回水郷聖会講師竿代師の属している教団です。ここの創立者蔦田二雄師のお子さんは5名。お孫さんが8名。全て信仰者です。11名が献身者です。




私たちが自分の子どもに手渡す一番大事なものは主イエスを信じる信仰です。




信仰は子どもの主体に任せていますという言葉を時々聞くことがあります。ユダヤ人は歴史上多くの迫害を受けてきました。神様を信じているのに何故こんな困難があるのかと考えた時もあるでしょう。しかしそれでも自分の子孫に伝えるべき一番大切なものは信仰と言う考えから離れることがありませんでした。




今アメリカでも彼らは信仰の継承を大切にしています。









皆さんのお祈りに支えられてアメリカ旅行が守られました。心配していた長時間のフライトや入国管理(関所)も無事通過できました。本当に良かったです。




今回の渡米は5月に錦織範子先生から8日の礼拝に説教に来てくれませんかとのメールで実現しました。それまではアメリカに行くことはないだろうと思っていましたので驚きと共に神様の導きと受け止め和子先生と二人で行ってきました。




主な目的はペンテコステ礼拝の説教、それに和子先生の賛美と証でした。教会はアメリカ人の教会堂を借りての礼拝です。午前はアメリカ人。そして午後の時間を日本人がお借りしての礼拝です。ですから全ての日曜日の働きは午後からです。




ここは川を挟んで対岸がニューヨークですので東京の郊外のような位置です。集う人は40名前後の日本人と数名のアメリカ人でした。日本人は仕事の長期出張やアメリカで仕事を持っている人また留学に来ている人と様々です。ですので日本語の説教で英語の同時通訳が付いています。




錦織先生ご夫妻はニューヨーク近辺に住んでいる日本人に対しての伝道をしています。数年間の滞在のなかで信仰を持ち日本に帰国する人も多いと聞きました。




会堂はアメリカ人のものですから礼拝堂だけでなく建物の中にはバスケット場、事務所、厨房と色々な設備が整備されています。それらの設備が有効な伝道の場となっていました。




日本では礼拝堂の他にお互いの交わりや学びをする独立した広い場所を持つ教会は多くありませんがアメリカではそのような場所が伝道のため必要とされて整備しています。




日曜日午前は時間がありましたので近くの黒人教会の礼拝に参加しました。もちろん通訳者も一緒です。200人くらい入る会堂で2回の礼拝をしている教会です。全てが黒人でした。日本の牧師が来たのは初めてですと喜ばれ突然前に呼ばれて挨拶を求められました。ゴスペルを大事にしている教会です。




アメリカはキリスト教が土台にありますが多彩な国です。









今週3日(火)17時発のユナイテット航空機で成田を発ちアメリカに向かいます。ニューヨークまで往路13時間、復路14時間です。




座席のクラスは一番安いエコノミークラス。この席は高速バスの座席と同じくらいの幅です。狭い席に13時間も座り続けることに心配もあります。




せめて新幹線の座席くらい欲しいですが、ビジネスクラスは料金がエコノミーの5倍します。今回は和子先生も一緒です。




和子先生は料金が安いと飛行機の安全性に問題はないのかしらと心配しています。ファーストクラスもビジネスクラスも同じ飛行機だから安全性や到着時間は同じだと説明しています。新幹線でもグリーン車、指定席、自由席があるのと同じと説明すると納得しました。




この年齢になると長時間の飛行機に乗ることはないだろうと思っていましたが4月突然、錦織範子先生から「アメリカに来て6月8日の礼拝説教してくれますか。」と連絡がありました。滞在はこちらで面倒見ます。飛行機だけ自費でという話でした。




和子先生は昔から「私の夢はアメリカに行って賛美、証をすること。」と祈っていました。これは神様からの招きと信じ今回二人でお訪ねすることになりました。




心配は長時間の飛行機とアメリカ本土の入国管理(関所)です。ツアーなら全ての手続きは会社がしてくれます。個人で行くには飛行機の手配から全て個人でしなければなりません。特に英語を全く忘れてしまった我々高齢者夫婦には大きな仕事です。




15年前個人でアメリカに行った時がありました。一番の苦労は関所を通ることでした。相手の英語が聞き取れない。自分も相手が分かる英語が話せない。関所から一歩も入ることが出来ず時間だけが過ぎていきました。見かねた親切な日本人が来て通訳をしてくれてやっとアメリカに入国することが出来ました。




でも今回は夫婦ですので安心です。アメリカ人は夫人に親切なお国と聞いています。高齢者ですが和子先生の笑顔をもってすれば怖い関所の役人も優しく扱ってくれると期待しています。



5月






家庭の裕福差によって子どもの教育に差が出ているといわれてます。お金持ちの家は小さいときから優秀な家庭教師をつけて子どもに学びをさせることが出来る。




私が子どもの頃、我が家は貧しかった。学びよりも仕事が優先した。ですから大学があることすら知らない時代を過ごした。




そんな私でも小学高学年になって少し学びの楽しさが分かり中学生には数学の通信簿に5が付いた母親は兄弟で5が付いたのは私だけだったのでとても喜んだ。複雑な方程式を解くのが好きになった。途中挫折した歩みをしたが記憶力は挫折しなかった。




聖書学院では卒業生総代として答辞を読んだ。




保育園を始めた時は園児の名前を1回聞けば忘れることはなかった。




アメリカの大学生を7年の間、毎年一ヶ月半受け入れた時はラジオで英語を学び彼らと会話が出来るようになった。家内は「あなたって本当は学べば出来るのね!」と驚いた。




ところが最近園児の名前が覚えられなくなってきた。おかしいなと思いながらも年月は過ぎて行く。今ではほとんど園児の名前が出てこない。そして英語は全く話せなくなっている。




60歳前後に麻酔をかけて大きな手術を2回したことが原因かと自分なりに考えている。




以前は聖書を1年に1度通読できていたが今は出来なくなっている。夕食を食べるとすぐにまぶたがゆるくなってしまう。故に聖書を読む箇所は短い。




 しかし長い文章を読むときに気づかなかったことが短い言葉を読み黙想すると、お言葉の深みが分かるようになっている。聖書歴史の奥を知る楽しさがある。




今66歳と10ヶ月の年齢。この歳を話すと聞く相手は「若いですね。」と言う。自分は見た目は若いのかなと鏡を見てしまう。




先日71歳の方の葬儀に出た。21歳の孫がお別れの言葉を話した。だれでも経験する死を最近身近に考える。しかし御言葉は語ってくれる。「今日を喜び祝い、喜び躍ろう。」と。




年齢に関係なく生きられる素晴らしい。外なる人は衰えるが内なる人は日々御言葉によって新しくされている。









私たちの教会では年に2回特集をしています。5月の母の日と12月のクリスマスです。


40年前は電柱に手作りのポスターを張り、高校の前でチラシ配布をしながら特集をしていました。しかし今は電柱にポスターを貼ることも出来ません。学校の前でチラシを配っても受け取る人はほとんどいません。学校の承認も必要です。




22年前、私たちが開拓教会を始めた時、保育園の働きを通して伝道しようと導かれました。そして今は年2回の特集をしています。今年は年長児が多いです。昨年の倍います。




果たしてこれだけの園児がそして保護者が会堂に入れるだろうかと心配しました。どうにか工夫をして間に合いました。園の連絡には園児1人に保護者2名までとお願いしました。それでも150名以上の集会になりました。多くの人は初めて教会に入った人たちです。




駐車場に車が次々に来ます。天気も恵まれました。会堂はベンチをつめてパイプ椅子、子供用の椅子をいっぱい置きました。私自身も緊張しました。




前の週はとても悩みました。何を語ろうかと。集会準備、草刈り(最近私のことを草刈正雄という人がいます)そして説教準備と小さな教会だけに牧師も色々とすることがあります。




よその教会に招かれて説教するときは説教だけに集中できます。自分の教会の特集にその教会の牧師が説教するのは珍しいです。しかし皆さん静に聴いてくれていました。園児たちも音楽演奏に聴き入っていました。




小さな田舎町の教会の特集にこれだけの人が集うことは珍しいことです。会堂で共に賛美し説教を聴く。これは素晴らしい伝道会です。




一度でも教会に来た方は受けた印象を忘れません。全ての人がイエス様を信じていただけたら素晴らしいですがどんな形にせよ教会の礼拝に与れたことはいいことです。これからもこのような伝道が続けられるでしょう。




種を蒔く伝道。川にパンを投げる伝道です。しかし種を蒔かなければ何も起こりません。蒔き続けることは、特に日本では大事です。結果は主にゆだねます。










本日、水郷めぐみ教会においでくださり嬉しく思います。




今日は世界のキリスト教会では「母の日礼拝」を行っています。母の日はアメリカのキリスト教会が起源です。




1905年、キリスト教会に通っていた1人の女性の心に母に対する感謝を形で表したいという思いが神様から与えられました。そしてカーネーション花の好きだったお母さんが、亡くなった5月の第2日曜日、教会の礼拝堂に飾ったのが始まりです。それが今、日本にも伝わり広く受け入れられるようになりました。




カーネーションの花と一緒にプレゼントをして日頃のお母さんの労に感謝の気持ちを表します。先週の新聞折込チラシには「母の日プレゼント特集」が入っていました。母親に対する感謝の気持ちを持つことは神様の喜ばれることです。




何と言ってもお母さんは子どもの命を自分の体で受け止め自分のおなかの中で子どもを育てていきます。日々の成長も自分の体で感じることが出来ます。父親には出来ないことです。




自分のおなかの中で動いた時、実感は大きくなっていきます。親としての素晴らしさを誰よりも早く感じられるのもお母さんです。父親はそれを外から見守ります。妻のおなかに触れて手を通して子どもの存在を感ます。




全ては妻である母親の体の中で進んで行きます。父親は生まれてきた赤子を手にしたとき親としての実感を感じるのです。




生まれた子どもは日々成長します。私の初孫は今4年生です。生まれたときは、ただただ泣くだけでしたが、今はおにいちゃんとなって元気に学校に通います。こひつじ園に入園した時とそれから一年過ぎた時では大きな成長があります。




子どもの成長の早さには驚きです。私は段々子どもの成長についていけなくなっています。




今日は園児たちが「お母さんありがとう」と歌います。この子達の一年前の姿と今を比べるととても逞しくなっています。みんな身体と心に栄養を頂いているのです。




親となった人には子どもが身体も心もまっすぐ大きくなるように子どもの成長にあった栄養を与える責任があります。










先週NHK夜7時のニュースで突然「中国とキリスト教」とのタイトルが流れ、今中国でキリスト教はどのような状態であるか報道されました。見られた方もおられたと思います。




それによると中国では農村部だけでなく都市部にもキリスト教が増え各地に大きな教会堂が次々に建てられている。しかし共産党政府は教会堂に難癖をつけ多くの会堂を破壊していると。そして教会指導者は逮捕されているとありました。




キリスト教が増えて共産党政府が恐れをなしそのまま見ておられなくなっていることがあるようです。NHKの報道では少なくとも1億人のクリスチャンはいると話していました。




同じ隣国の教会のため私たちは祈らなければならない責任があると思います。




1、一刻も早く政府の迫害が終わるように。中国のキリスト者たちが自由に信仰生活を送られるようにと祈りましょう。




2、さらに多くのクリスチャンが与えられるように。




神様は中国で働いています。それは共産党政府を恐れさせるまでになってきました。実態は2億人すなわち人口の10%以上になっています。




第二次世界大戦前に中国には世界中から多くの宣教団体が伝道に入っていました。その時福音の種がまかれたのです。有名な宣教師にハドソンテイラーがいました。教会も沢山作られていました。




それが戦後共産党政治になって教会は迫害され会堂は破壊されました。中国から宣教師が一人もいなくなりました。しかし蒔かれた福音の種は芽を出し始めました。




今も中国では宣教師として入国出来ません。自由な伝道は出来ません。聖書の印刷も規制されています。




その国で強固な共産党政府を脅かさせるまで成長した中国の教会。世界で一番人口の多い国です。多くのクリスチャンは地下に入って自由な信仰生活を求めています。原始教会が迫害を受けていた時と同じような姿です。




中国共産党は強い権力を持っています。それを変えることが出来るのは神様です。迫害を受けている兄弟姉妹のため主の助けを祈りましょう。



4月








イエス様が生まれたとき天使の賛美に「地に平和」という言葉がありました。




神様が私たち人類に願うことは「平和」です。あれから2,000年過ぎましたが人類はどれだけ戦争をしたことでしょうか。そのたびに戦争の悲惨さを経験し再び戦争は起さないと誓いながら今もって戦いは絶えません。




進化論を信じている人がいます。人間は進化している。良いほうに進化している。学ぶ力も備えて何が悪で何が善かを学ぶことも出来るといわれています。




日本国は第二次世界大戦を戦いました。アジアの国々に侵略し主にアメリカを敵として約4年間戦争状態になりました。戦った兵士たちは多くの苦しみの中次々と死んで行きました。国中が戦争一色でした。そして最後に原子爆弾を二個投下されそこに住んでいる命あるものは全て滅んでしまいました。




兵士として駆り出された青年には「君たちは死んだら靖国に祭ってあげる。」といって送り出しました。戦死した青年の母親には「靖国の母」と言う称号を与えました。日本が戦争に進んだ背景に靖国神社と天皇制がありました。




今、日本は隣国である韓国と中国との中が戦後最悪になっています。間違えると軍隊と自衛隊の戦いになる恐れもあります。しかし日本の指導者は戦争の悲劇から本当の恐ろしさを学んでいません。




日本の最高指導者が戦争の犠牲になった人たちが祭られている靖国に行かないでどうすると我々国民に語っています。戦争のために道具とされた靖国神社。間違った教育で靖国に祭るといって若い青年を戦場に送った罪。その反省は見られなく今も戦争当時の考えで靖国を考えている総理大臣。




靖国神社では総理大臣に来てもらわなければ困るといっていません。靖国は一宗教団体です。




人間の心にある思いを変えることはとても難しいです。内村鑑三は言いました。主イエス様の再臨があって初めて地に平和が実現できると。そのためホーリネス教会創立者中田重治師と日本に再臨運動を始めました。




イエスキリストの再臨こそ平和の完成です。







 主イエス・キリストの復活を心から感謝します。




今年のイースター(復活祭)はいつもより遅くなっています。これは月の満ち欠けによってイースターの日が決められているからです。クリスマスの日は決まっていますがイースターはその年によって変化しています。クリスマスと違ってイースターが日本に根付かない理由がここにあるのかなと思います。




しかし私はイースターが好きです。寒い冬の間は風邪をひかないように厚着をしたり暖房を高めにしたりして経費もかかります。身体もうまく動かなくなっています。




しかし桜の咲くころ気温も高くなり暖かくなります。厚着も薄くなり暖房も少なくなってきます。私の気持ちも軽くなります。日の明るさも長くなり春は好きです。そんな時にイエス様の復活を祝うイースターを迎えることはクリスマスを迎えるときに勝るとも劣らないです。




またイースターはクリスマスと違って静かに迎えることが出来ることも好きです。高齢者の年齢になり人生の終わりが見えてきた今、普通なら気持ちが衰えます。しかし主イエス様の死からの復活を思うと死は全てを終らせるものではないとの希望がわいてきます。私たちの神様は全能者です。時間に縛られません。




また「罪の支払う報酬は死である。」と言われています。神様を知らない人は罪の報酬である死を怖れます。死の先に罪の報いが待っているからです。




しかし私の(私たちの)罪を全てその背に背負って身代わりとして罪の報いを受けてくれた主イエス様を信じるとき死の先に希望が見えてきます。怖れはありません。それは栄光の主イエスキリストにお会いできるということです。




イースターの信仰は人生を変えます。多くの遺影は死ぬ前の写真が見られます。私の希望は生き生きとしていた時の写真を使って欲しいです。なぜならイエス様とお会いできる私は生き生きとしているからです。




新芽が芽吹いています。緑が濃さを増しています。これからは畑仕事も出来ます。雑草を除いていいことばかりです。感謝!







 寒さもゆるぎ、いよいよ暖かさを実感できるようになりました。




毎年秋になり北風が吹き始め寒さを感じるようになった時、寒さに弱い私はこの冬の寒さが乗り越えなれるだろうかと心配になってしまいます。寒中は出来るだけの寒さ防止をしていました。そんなに寒いのと笑われる様な姿をさらけ出していました。




でも神様はいつまでも私に寒い日を与えません。寒さに堪えていた私によくガマン出来たねと言うがごとくに暖かい日をもたらしてくださいました。




つらくてもやがて喜びがある。信仰生活で学んだことです。




教会は今週主イエス様の受難週を迎えます。イエス様にとって一番厳しい日を過ごされます。愛する弟子に裏切られ、信頼していた弟子達に自分を否定されるという精神的な苦痛だけでなく十字架への肉体的な苦痛を受けられました。私が寒さに怖れる事とは問題にならない大きな苦難です。




弟子たちとの最後の夕食(最後の晩餐)本当ならみんなで記念する過ぎ越しの食事会です。自分たちの歴史を思い出して話に花が咲く楽しいひと時になる食事会で主イエス様は弟子たちの裏切りをする予言をしました。




聞いていた弟子たちの心は一瞬にして固まってしまいお互い不信に陥ってしまいました。なんと厳しいことでしょうか。人間の根底にある罪が暴かれた瞬間です。




私たちは主イエス様の御前の立ち御言葉を聴かなけらば本当の自分の姿がわからないと思います。それはとても厳しいことですがそこから身を引いてはならないことでもあると思います。




イエス様は人間の底にある全ての醜さ(罪)を明らかにしました。その罪を全部ご自分の身に引き受けられて十字架の道へと歩まれたのです。




主イエス・キリストの受難は私たちが自分の中にある罪に気付き本当の自らの姿に目覚める時でもあるのではないかと思います。それを通って初めて復活の恵みがわかると思います。




私たちも自らの姿を直視する今週でありたいです。その先に素晴らしい復活の喜びを経験するための歩みです。






水郷めぐみ教会は1993(平5)年に始まり2002(平14)年に今の会堂が出来ました。そして小羊保育園は2008(平20)年に認定こども園として新たな出発を始め移転して規模が倍になりました。




教会の周囲もそうですが小羊保育園の新しい移転先も隣が田んぼでした。園庭から農作業がよく見えていました。田おこし、田植え、稲の生長そして刈り入れと。




昨年の刈り入れ後、田はそのままになっていました。どうしたのかなと思っていたとき不動産屋さんが園に来て「隣の田は作付けを止めたので園で借りないか」と話がありました。




私は現在の姿に満足していましたから余り必要性を感じていませんでした。市役所に相談に行った時「こひつじさんで学童保育をしてもらえるといいのだが」と話が出ました。それを聞いた和子先生には学童をしたいとの思いが大きく膨らんできました。




元々和子先生は学校の先生になる希望を持って大学(専攻は数学)で学んでいましたから今でも小学生に算数を教えたいという思いがあります。そんなわけで三反という広い土地を借りることになり造成が始まりました。




先週10トン車の大型ダンプが次々に土を運び入れブルで平らにし造成が終りました。教会が始まって10年目に今の教会堂建築、6年後に認定こども園、さらに5年して今、学童の話と大きな事業が続きます。




時々考えます。3万人を切りさらに人口減少が続いている地方の町でのことです。常識的に考えると少子化といわれている今日に逆行するようなことです。




しかしこの働きには福音のエネルギーが潜んでいます。リバイバルの雨が降ったとき種が蒔かれていないと芽が出ません。




幼児教育・幼児伝道は人口の少ないそして保守的な地方の町では大きな証しになります。来年度から幼児関係は保育所、幼稚園、認定こども園の三つになります。




こども園は「こども」と言う名が着きました。子ども中心の園の意味を持っています。私たちは主イエス様が子どもを真ん中に行かれた思いを大切にしていきます。



3月






 本日は岩手県ハレルヤチャペル滝沢教会牧師森田友明師をお迎えできたことを感謝します。先生は剛兄のおじさんです。




剛兄が教会に来るきっかけになったのは、私が2010年11月にイスラエル旅行に行った時でした。30名くらいのツァーでした。先生と親しくお話できたのは死海のホテルに泊まった時でした。「僕の甥が鹿嶋に住んでいるけど潮来と近いですか。」と話されたのが始まりでした。




その後、剛兄が導かれイエス様を信じて洗礼を受け毎週、雨でも雪でも鹿嶋から教会まで自転車で礼拝に来るようになりました。礼拝を大切にする姿は模範的な姿です。




そのような関係で岩手から本日私たちの礼拝に来てくださったことは大きな喜びです。




先生は小児科医です。忙しい医師の働きの中、JTJ宣教神学校に入学し聖書を学び伝道師としての資格を与えられ開拓伝道を開始されました。




医師としての働きだけでも大変なお仕事です。そんな中で今は牧師として開拓伝道をされていることは素晴らしいことです。神様は先生に働かれています。




先生のお母様は実家が小美玉市です。ですから森田先生には茨城人の血が流れています。小美玉はここから近いです。




聖書を書いた人(ルカによる福音書、使徒言行録)ルカは医師と言われています。神様は色々な職業の人を伝道のために用いられます。製造業、農業、保育士、公務員と様々です。




ペトロは漁師です。神様から与えられ仕事を通してイエス様を証し出来るということはキリスト教の力です。昨日のライフラインのゲストは建築家でした。森田先生は医師という忙しさの中でイエス様の愛と恵を伝えたいと励まれています。




どんな仕事の中でもイエス様を伝えることは可能です。使徒パウロは元キリスト教会の迫害者でした。そんな人がイエス・キリストを世界の人々に伝えるようになったのです。




神様は不思議なお方です。どんな人でもご自分の証し人として用いられます。若い人も高齢者もイエス様を信じ証し出来ることは大きな恵です。







 私が好きな歴史ドラマNHK大河では今「軍師官兵衛」が放送されています。先週はキリシタン大名高山右近がキリスト教葬儀のシーンで初めて登場しました。




官兵衛は右近の伝道によって受洗したと言われています。高山右近の領地では7割(70%)の領民が洗礼を受けキリスト者になったとナレーションにありました。




今から400年前はカトリックですが日本に伝道(宣教)されてから数十年で人口の1割(10%)近くの人がキリスト者になったと言われています。プロテスタントが伝道されて160年になるが人口の1%の壁が越えられないでいます。今では考えられない勢いと言えます。




多くの大名がキリスト者になり領民の若者を遠くヨーロッパに送り出しました(天正遣欧使節)。これは日本人が初めてヨーロッパに足を踏み入れたことです。




その時の肖像画がいま発見されました。それを見ると400年前の若いキリスト者の顔に出会えます。今の若者と何ら変わりません。




神様は日本の国を愛しておられた。その愛は今でも変わりません。




日本でキリスト教は時代の波に翻弄されてきました。それはイエス様が復活して伝道が始まってからもローマ帝国では360年近く続いたのです。




しかし神は奇跡を起こされ迫害の波を止められ福音が行き渡りほとんどの国がキリスト教になりました。そして日本にも伝道され福音が伝わってきたのです。




今の日本のキリスト教状況はこれ以上ないと思われるほどの伝道不振に陥っています。色々原因はあると思いますが全てを導かれておられるのは神様です。私たちの父なる神は一人も滅びるのを望んではいません。全ては神様の愛の対象です。




今は地道な伝道かもしれなません。これはとても大事なことと思っています。雨が降り肥料を与えても種が蒔かれていなければ作物の成長はないのです。




私たちの信仰は神様の愛です。そして私の隣人も神様から愛されているのです。主イエスの十字架の死と復活は全ての人々のためです。日本に救いの波が起こることは不可能ではない。私たちはそれを信じて祈ります。









私が高校生の頃まで私の家の田んぼは舟でなければ行けなかった。道路ではなく水路が道で舟が交通手段であった。




田の周囲には幅1,5から2メートルくらいの水路(エンマ)が網目のように作られていた。中学生になるとその水路を飛び跳ねることが自慢であった。




新宿の教会から潮来に任命された頃、東村山の本部に行く時は自動車で行っていた。当時の首都高はとても混んでいた。自動車はマニアル車、もちろんカーナビはない。傍らに地図を広げての運転。それでも苦にならなく運転して本部に行くのが楽しかった。




先日、年会大会に行った時、自動車であった。カーナビもある。自動車の性能も良くなっている。高速は混まない外環道路を選んで運転した。それでも東京に入るとヒヤヒヤしながらの運転。




今、走り幅跳びは1メートルがやっと。それも骨折する心配があるのでしない。




先週101歳の方の葬儀をした。昭和16年、医療伝道のため中国に看護婦として行った。敗戦後、日本に戻り神栖村の白十字病院に勤め最後は婦長をした。90歳になって鹿嶋に出来た老人ホーム入所。10年間そこでの生活を終えて天に召された。




100歳の誕生日のときホームを訪ねた。ほとんど会話は出来ない状態になっていたが、私の問いかけにはっきりとした口調で答えてくれた。側にいたホームの職員がそれを見ていてびっくり。最後は燃え尽きるようにして静かに息を引き取った。




人間の命はいつまでも続くものではない。私も今は走り幅跳びもマニュアルの車で首都高を運転することも出来なくなっている。




しかしこの歳になっても出来ることがある。出来なくなったことは残念であるが出来ることを求めよう。スイスの精神医ポール・トルウニエは人生には「四季」があるという。それによると私の年代は「冬」に入った。




冬の時代でも出来ることは何か。「神に従う人はなつめやしのように茂りレバノン杉のようにそびえます。白髪になってもなお実を結び、命に溢れ、いきいきとする。」(詩編92:13、15)こうでありたい。







私たち夫婦が所属している日本ホーリネス教団では年に一回全国の教会に派遣されている牧師を集めて「年会大会」を行っています。今年は埼玉県嵐山町で行いました。会場は研修施設ですので部屋にはテレビもありません。そこで二泊三日を過ごしました。




集会の連続で疲れも感じました。しかし日頃何かと忙しくしていた私にとって潮来を離れて過ごした日は恵の時となりました。




一番の恵は集会以外に時間を束縛されることなく過ごせたことです。あいた時間は聖書に向かうことに使いました。久しぶりにお会いする牧師同士ですからお互い情報交換したり交友を暖めたりしますが食事以外はなるべく人から離れ部屋に篭り、聖書のお言葉に向き合うときとしました。




聖書を短く読みそのお言葉を何回も繰り返して読み直し頭に入れ黙想します。すると活字として目に入っていた聖書のお言葉が私の中で動き出すのです。喜びの言葉として、賛美の言葉として神様が私に語ってくださるのです。




何回も読んでいたお言葉ですが新しい響きを持って語ってくる。それは自分が主体となって聖書を開き、自分の目で読むということより神様が聖書のお言葉を通して語ってくださる。私はそのお言葉に耳を傾けて聞くだけ。神様が生きて語られるという経験を持ちました。




神様のお言葉を聞くことは大きな恵でした。これを私たちはデボーション(黙想)と呼んでいます。多くのキリスト者たちが経験していることでもあります。




今回、参加するに多少健康の不安もあり、人混みの中を行くのが嫌で車で165キロを一人で運転しました。幸い高速道路も混まず道も間違わず会場往復が出来ました。




潮来にいると色々な用事が舞い込んできます。なかなかまとまった時間を持って黙想することは簡単でありません。今回、年会と言う形で黙想の時が与えられ感謝しました。




聖書は不思議です。自分で開いて読んでいるつもりがいつの間にか聖書に読まれてしまいます。お言葉がぐんぐん私を引きつけるのです。お言葉は生きています。







日本の多くの会社では60歳定年制をとっています。60歳過ぎてもまだ働ける気力のある人は正社員から離れて嘱託としての契約で働きます。それでも大体65歳を過ぎると体力が衰え仕事から離れて行く人がほとんどです。日本では65歳から高齢者と呼びます。




私は26歳で聖書学院を卒業し最初の任地が東京新宿にある「東京中央教会」でした。あれから40年が過ぎました。そして今年67歳。




現在は牧師不足時代です。私が籍を置いている日本ホーリネス教団では75歳まで牧師を続けなさいの状態です。しかし40年間よくも牧師が続けられてきたなと自分で感心しています。




40年前は牧師不足という状態ではありませんでした。若い青年が次々と献身し学院に入学する時代でした。派遣される教会が足らなく毎年1か2箇所で新しく教会を始める開拓伝道が盛んでした。それだけ牧師も多くいたのです。




東京中央教会にも当時私たち以外に既に5人の牧師がいました。そこに派遣されたのですから牧師は全部で7人になりました。今、一つの教会に7人の牧師がいるところを知りません。




説教は車田師と副牧師の先生方が交代でしていました。私は大きな教会の会堂の掃除や他の先生があまり行かないお年寄りの訪問などをしていました。一年間礼拝説教はありませんでした。




会堂で説教したのは夜の伝道会で2,3回でした。その私の説教を主任牧師夫人は鋭い観察で聞いていました。翌日の朝、主任牧師夫人は私に「平山兄弟、夕べの説教は恵まれましたよ。期待していますから頑張ってくださいね。」と言われた言葉が今でも忘れません。神様から任命を受けた感謝がありすべては神様への奉仕であるとの信仰が篤かったと思います。




あれから41年になります。あの時の信仰がどれだけ成長したか考えています。




今週は日本ホーリネス教団の年会大会があります。多くの牧師が退職し第二の人生を始めます。一つの仕事を40年間続けることは素晴らしいことです。本当にご苦労様でしたとお礼を申し上げます。



2月







今の話題は冬季オリンピックですね。今回は日本人が金メダルを取り盛り上がりも大きいです。テレビは同じ場面を何回もそれもNHKや民放でも繰り返し放映しています。私などは一回見れば済むのにと思ってしまいます。




外国では開催国を除いて日本のように盛り上がることはないと聞きます。それよりもサッカーのワールドカップが人気ありです。サッカーは4年に一度、オリンピックは2年毎行われる違いかもしれません。今回はメダルを多く取れたようです。




しかし前評判が良くマスコミが密度の濃い宣伝をしていた人は期待通りに行かなかったようです。かえってあまり話題にもならない競技や選手がメダルを取りました。




そんなマスコミの姿を見ているとマスコミには大きな偏見があるようです。マスコミの力は大きいです。国民の考え思想を支配してしまうほどです。




昨年の安倍総理大臣の靖国神社参拝もそうです。日本国民として当然していることと安倍総理は語っています。マスコミでも当たり前のように放送しています。靖国神社は(マスコミは意識して神社の名をつけていません。)戦争を肯定するといわれても仕方ない面があります。




第二次世界大戦はまず日本が中国に対して戦争を始めました。次にアメリカに対して戦争を始めました。靖国には命を懸けて日本のために戦った人が祭られていると総理は言いますが、靖国神社は独特の教義を持った宗教団体ですから何を祭るかは神社の自由になっています。戦争犯罪人も神として祭られています。




国は特定の宗教に対し関わることが憲法で禁止されています。本当に総理大臣が国のため戦死した人に哀悼の気持ちを表すなら国費でそのような施設を作り国民全体で支えるべきです。それでこそ戦死した人たちに哀悼の気持ちを表すことになります。




日本人は感情に流されると理性が失われてしまう国民性があります。大衆に飲まれてしまう弱さがあります。オリンピック報道もマスコミに踊らされている様な気がします。特定の人でなくみんな頑張っているのですから。







今日の説教者は小松栄三郎勧士です。「勧士」という言葉はまだ浸透していないようです。日本ホーリネス教団では牧師不足と信徒の奉仕活用との面でこの制度を作りました。




茨城県内のホーリネス教会でも2教会、専属牧師のいない教会があります。これを「無牧」教会といったり「兼牧」教会と呼んだりまします。すなわち専属牧師がいない教会では他の教会の牧師が自分の教会を離れて礼拝説教をして礼拝を進める形を取っています。そのような教会が増えており今後増加の可能性があります。




そこで教団は信徒の奉仕活動の一環として「信徒説教者」を育成し、礼拝で聖日説教が出来るようになりました。その為に教団の作った学びと訓練を経て説教者と認められた信徒に「勧士」の資格を与えるようになりました。




既に10名くらいの方々が勧士の資格を得て牧師と同じように礼拝説教を始めています。これはとても良い働きだと思います。




信徒だから、牧師だからと区別をつけないで信徒でも礼拝説教をすることが出来るのです。しかし勝手にしてよいものでもありません。教会秩序の大切さを保つために決められた手続きを得ることは必要です。




現に今までにも幾つかの教会で信徒から「私に説教させて欲しい」と要望があり所定の手続きを得ることを進めると教会から離れて行く方がいました。




説教をすると牧師の立場がより身近に理解できます。日本の教会では牧師を理解する深さがまちまちです。一応教会では「先生」と呼ばれていますが世間で先生と呼ばれるような立場に立つことは難しいです。教会員をお客さん待遇で迎えることに気を遣う牧師が多いです。




牧師は自分の生活を犠牲にして教会の働きに仕える事が美徳とされています。教会員にはなるべく苦労をかけない牧師が気に入られる牧師と受け止められているのが日本の姿です。




教会員が講壇に立って礼拝説教をすることが出来る体制があります。皆さんも挑戦してみませんか。牧師にならなくても礼拝説教が出来るのです。小松勧士(成田教会)に感謝します。







本日、あおき君の献児式を行うことが出来感謝です。教会に新しい命が加えられたことでもあります。将来の成長を祈り期待していきたいと思います。




仰輝君は私たち夫婦の5番目の孫です。私たちもいつの間にか5人の孫を持つじいちゃん、ばあちゃんになりました。




一番上は小3年生。段々と大人の事が理解できるようになりつつあります。二番目は女の子、今年4月に小学1年生になります。とっても可愛いです。三番目は3歳になりました。一番おじいちゃんん似だと言われます。(自分で思っているだけです。)四番目はもすぐ2歳になります。この子は何か賢さを感じます。




0歳児から小学3年生まで5人の孫を見ています。それぞれの成長過程がよくわかります。そして自分たちが子どもを育てていた時のことを思いだします。




私たちの祈りは5人の孫がイエス様の恵みにより洗礼を受けイエス様を信じる人生を送って欲しいと言うことです。既に一番上の孫が洗礼を受けました。




私たちは結婚し家庭を持ちます。聖書によると「だれ誰は何年生き、息子や娘をもうけた。そして死んだ。」と人生を簡単にまとめています(創世記5章)そこに命と信仰の継承を感じます。私たちの最も大きな働きは命の継承と信仰の継承です。




日本、あるいは多くの先進国では少子化が進んでいます。人口の減少が日本では現実として始まっています。今、キリスト者が命の継承と信仰の継承を真剣に取り組むなら50年後、日本のキリスト者人口は10%になります。




今までは信仰の継承がキリスト者家庭で上手く進んでこなかったことに教会の力が伸びない現実があります。礼拝は私たちが神様に対する信仰です。伝道は人間に対する信仰です。




大事なのは神様に対する信仰です。神様に対する信仰がしっかりと確立されて人に対する伝道が進みます。キリスト者の家庭は神様に対する信仰の歩みの中で進みます。




誰かが伝道するではなく自分が神様にしっかりと祈り、恵みを求めていくなら子どもたちに対する信仰の継承は受け継がれていきます。私たちは神の家族です。新しい命をみんなで支えて行きましょう。







先日正月を終えたと思ったらもう2月です。一月は行ってしまう。2月は逃げてしまう。3月は去ってしまうと言われているように年度末は日時の過ぎるのがとても速く感じます。




私にとって1月は今まで経験したことのない日を過ごしました。娘が第4子を出産したので和子先生は毎日お手伝いに行きました。その間、夕食は一人で。




産後3週間が過ぎたのでお手伝いは終了しました。しかしその後、和子先生は東京に研修に行きました。ですのでこの間、私は毎日夕飯を、そして後半は朝食と夕食を一人で作り食べていたのです。




今まで食事はテーブルに出てくるものと思っていましたが、調理することをして、初めて食事を作り食べることの大変さが分かりました。




私は月曜から金曜まで園で7時50分から職員と聖書を読む時間を持っています。ですからその前に出勤です。朝はあわただしいです。主任の和子先生は研修で東京。園は感染胃腸炎とインフルエンザで休む子どもが出る。責任が重くなった一週間でした。




年を重ねるごとに人間としての能力は低下します。旧約聖書の人物は長生きした人が多かったですが新約時代になって長生きした人は少なくなっています。最近も身近では50代後半で召された松村先生、60代半ばで召された松木先生。またとても大きな働きをしたアシュラムの榎本先生は52歳でした。




私は今年67歳になります。1月の生活の中で食事を作れる自分の姿を再発見しました。しかし疲れました。無理なこともあったのかもしれません。




この年になると10年先の夢を語ることは難しくなってきています。毎日が精いっぱいです。でも生かされていることを感謝します。それは一日一日を大切に生きることです。




あまりむりをせず今自分が出来ることは何かを祈り求めながら進んで生きる。そして、願わくは聖書の時間、神との交わりの時間、黙想の時を多く取り、神の恵みをこの身に実感として受け止め牧師として毎日を送ることが出来るように。



1月







先週の「水郷便り」に黒田官兵衛がキリスト者なのか、について書きました。19日の放送で官兵衛が堺の町に出たとき宣教師の説教を聴き衝撃を受けた場面がありました。




始まって3回目にキリスト教を放映したことはこれからの官兵衛の人生にキリスト教が影響を与えていることを暗示しているようです。




日本にキリスト教が伝わってまだ10年くらいの時です。放送最後にフランシスコ・ザビエル記念碑が出てきました。日本は仏教国でキリスト教は異国の宗教との認識が当時には強かったと思います。あれから500年くらい経っています。




官兵衛の時代は戦国時代であり人々は苦しんでいる時でした。今はどんな時代でしょうか。東日本大震災の苦しみ、原発事故での苦しみ。政治は安倍総理の強気。首都東京の知事が金銭問題で急遽辞任。少子高齢化で将来に対する不安。




現象は昔と違いますが原則的な不安は当時と同じのような気がします。戦国時代の乱世にキリストの福音には新鮮さがあり人々を教会に招き寄せたのです。そしてキリスト教伝来数十年で10パーセント以上の人が洗礼を受けキリスト者になりました。官兵衛もその一人でした。




今の時代に足らないのはクリスチャンがキリストの福音の恵を充分に受け止められていないことと言われています。これは信徒だけでなく牧師も含めての話です。




日本人は疲れています。政治、経済、社会問題が山積みです。主キリストは言われました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」と。




昔も、今も主キリストは招いておられます。休み場があります。それは主キリストのもとです。マリアが主キリストの足もとに座ってお言葉を聴いたように私たちもひざまずいてイエス様のもとに行くなら神からの休みが与えられます。私たちを休みに招いている方がここにいることは大きな恵です。




聖書は語ります。「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けを頂くために、大胆に恵の座に近づこうではありませんか。」










歴史の好きな人はNHKの大河ドラマを良く見ているようです。私も歴史が好きですので見ることが多いです。




昨年は「八重の桜」で後半に新島襄が登場し明治時代の初期にキリスト教がどんな時代背景の中で伝道が始められたのかを知るのに参考になりました。




今年は「軍師官兵衛」です。昨年の八重もそうでしたが今年の主役「黒田官兵衛」がキリスト教信仰を持ったことが話題になり本が出版されました。今回の「軍師官兵衛」すなわち黒田官兵衛もキリシタンであったのではと言われています。




八重さんから300年も前の人ですからカトリックです。時代は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の頃です。私が若い時これらの武将の小説を司馬遼太郎が書いた本でだいぶ読みました。




黒田官兵衛は竹中半兵衛と共に力を合わせ秀吉を天下人まで押し上げた側近でした。当時キリシタン大名は沢山いました。有名なのは高山右近、そして細川ガラシャ(細川元首相の先祖)などがいます。いずれも熱心なカトリックの信仰者でした。イエス様のため地位を捨て命まで捨てた人たちでした。これらは小説にもなっています。




しかし「軍師官兵衛」がキリシタンと言うことは私が読んだ本の中に書いてなかったので驚きました。出所は彼が築城したお城の瓦に十字架が描かれていたことのようです。




調べてみると黒田官兵衛が洗礼を受けた記録として1584年とあります。きっかけは同僚のキリシタン大名との交流において信仰の影響を受けていたことは確かなようです。




信仰の面がドラマで描かれるかはわかりません。分かることは証しの力の大きさです。




「私を見てください。そうすれば神様が分かります。」今日、この言葉を言えるクリスチャンが少なくなっています。そこに伝道の貧弱があります。




イエスキリストの恵みを頂いた私たちに神は共に居てくださいます。それは私を見れば神様が分かると言うことです。黒田官兵衛の周囲にはキリスト者が証ししていたのです。










正月、箱根駅伝を見た方は多いと報道されています。視聴率も30%あったと。正月の楽しみの一つになっています。




私が初めて見たのは息子が東洋大に入学してからの事でした。当時東洋大は下位が定番で翌年出場できるかどうかのラインにいました。優勝経験もありませんでした。それが急に上位になり「山の神」が現れ優勝してしまいました。「山の神」が卒業した今年も総合優勝でした。




駅伝にはマラソンと違う面白さがあります。マラソンは一人で走りますが駅伝はみんなでタスキを手渡して走っていきます。ですから全体のチームワークがとても大切になってきます。




みんなで一つの目標に向かってタスキを運び続ける。それぞれの特徴を生かして、全他のバランスを考えて走ります。張り切って走り途中棄権した大学もありました。




私たちの教会も新しい年に新たな思いを持ってスタートしました。教会はキリストの体です。神様から与えられた恵みを次の人に渡していく。




使徒パウロは「最も大切なこととしてわたしがあなた方に伝えたのは、私も受けたものです。」(コリントの手紙Ⅰ15:3)と語っています。パウロは福音は受けたものでありそして私もあなた方に伝えたと、福音の伝わり方を書いています。




これが伝道の基本となっています。福音はそのようにして今日の私たちに伝えられてきたのです。ですから私たちはここで止めてはならないのです。次の人に(次の世代に)伝えなければならないのです。




私たちは駅伝のようにスピードを競い競争するものではありません。しかし受けた福音を次の人に伝える責任はあります。




キリストの身体にはそれぞれの働きがあります。みんな違う働きをしています。他の人と同じ働きは出来ません。お互いの違いを認め受け入れて行くのが身体として健全に働ける秘訣です。




2014年、受けた福音をタスキのように次の人に手渡せる年にしましょう。一年は長いです。きっと手渡す相手が近くにいます。私たちの受けたこの福音を手渡し、つないで行きましょう。







クリスマス、正月が終わりました。正月休みは長い人で9日間あったと言います。


私たちはこひつじ園と教会をあわせて沢山の集会をしました。その結果延べ約500名の人たちにお言葉を語ることが出来ました。続けて来られた方もいます。これは礼拝者20名前後の教会では驚くべきことです。




クリスマスが終わると元旦礼拝、そして今日の聖日礼拝と牧師は集会が続きます。私などは説教準備に時間がかかりますのでゆっくりした気持ちで休めた日はあまりありませんでした。特に説教前日は落ち着かなくなります。年賀状は正月になってから書きました。




9連休の人がうらやましいです。友人の牧師夫妻は大洗が気に入って今週、孫と一泊旅行をします。




さて、今年は教会形成を目標にしていきたいと思います。役員会の再構築、そして各人の奉仕分担。みんなでキリストの身体である教会を育てていく信仰を強くしたいと思っています。




台所奉仕隊、会堂清掃奉仕隊、外の駐車場をきれいに管理する奉仕隊。また親子礼拝奉仕隊など私たちの奉仕の場は探せば沢山あります。




イエス様は命を投げ出して私たちを滅びの罪より救ってくださいました。私たちはこの救いに何を持って応えることが出来るでしょうか。




集会出席、献金、伝道そしてキリストの身体である教会の奉仕。イエス様が喜ばれます。その姿を次世代の若い者たちに見せることが出来たら教会形成は伝承されていくと考えます。




昨年クリスマス関係に500名を超える人たちがクリスマスメッセージを聞くことができたことは伝道の裾野が広がってきたということです。裾野が広がることは大事なことです。




日本ではキリスト教はまだまだ理解が足りません。多くの人に特別な宗教で私たちには関係ないと受け止められています。プロテスタント宣教150年以上も経ちながらです。




キリスト教をもっと身近に受けてとめてもらうことは大事な伝道です。伝道の裾野を広げる働きは大事です。私たち牧師夫婦は今年も教会活動と、こども園活動に進みます。






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