7月
先週礼拝後、北浦霊園にある教会墓地に行きました。7月はY姉(17日)、A兄(18日)の召天記念日ですので、関係者と共に猛烈な暑さの中お墓参りをしてきました。
国道はとても混んでいました。柏ナンバーの車が多いので、もしかしたらサッカーの試合があるのかと思いつつ霊園に。すでに墓石はきれいになってお花も供えられていました。
みんなで賛美歌を歌い、牧師が祈りをしました。終わって誰かが北浦湖へ目を向けたところ、木と木の枝の真ん中にきれいな筑波山が、青空のもとはっきりと見えました。我々は暑さも忘れしばらく見入ってしまいました。
以前にいた教会で墓地の話が上がったとき、ここに視察に訪れました。その時も眼下に北浦湖、そしてその向こうに筑波山が見え、ここは環境的にいいところですねと、そこに教会墓地を決めました。
その後、道を挟んで同じ広さの教会墓地ができ、入口の両側にキリスト教会の墓地が並ぶようになりました。
我々水郷めぐみ教会の納骨堂は、地下にあるのでなく建物の中にあります。ですから鍵一つで扉を開け中に入り、遺骨と対面ができます。
墓石の下にあるといちいち石材屋さんの手間を借りなければ遺骨との対面ができません。それに一回開いてもらうと費用も掛かります。
8月になると日本はお盆の季節です。迎え盆、送り盆とします。亡くなった人の霊がお墓の中にいるとの仏教の教えです。キリスト教の信仰はそれと違います。
遺骨は個人の想いをよみがえらせますが、魂はすでに天国にあります。そこからいちいち下りたり上ったりしません。しかし遺骨は大事です。主イエス様の再臨の時、先に眠った者がイエス様が復活したように墓から復活し、天に挙げられイエス様とお会いすると教えています。
先に亡くなった人が我々よりも先に復活し、雲に乗っておられるイエス様と天上でお会いするのです。これは私たちにとって大きな希望であり、喜びであり、栄光です。すばらしい神様の恵みです。
2千年前の教会は大きな迫害に遭いました。ステファノという人も迫害で命を落としました。「天が開けイエス様が立っているのが見える」と言って息を引き取りました。
先週、満78歳の誕生日を迎えることが出来ました。昨年は葬儀、3年前も葬儀で、静かに誕生日を迎えることが出来ませんでした。
8年前、和子牧師が激しいせき込みでの骨折。その時以来、痛みによって和子牧師は家事の仕事が出来なくなりました。
そして昨年6月に大手術。3カ月の入院生活。一年過ぎ痛みがなくなってきましたが、上半身はがっちりとコルセットで固めています。コルセットは辛く、重そうです。
先週、そしてその前の週は白内障手術。和子牧師は聖書学院時代とても元気で何でもこなすことの出来る人でした。結婚してからも元気でみんなから「和子先生は元気ですね。」と言われていました。
今、病の話をすると「あの元気な和子先生が。」と、皆さん驚きを現わします。
和子牧師が骨折してから、大きく私の生活は変わりました。家事の働きが全部私に回ってきました。とくに大変と思うには食事です。
イエス様は「何を食べようか、何を飲もうかと思い悩むな。」と言われています。この御言葉が思い出されるたびに、私には信仰が足らないのかと反省しながら家事をしています。今も毎日思い悩んでいます。
感謝なことは何を準備しても和子牧師は食べ物に対して文句一つ言わないことです。私が提供したものはモクモク食べます。何が食べたいと聞くと唯一「刺身が食べたい。」と返事。
先日、冷凍庫の中に見覚えのない食材が幾つかありました。自分で食べたいのを買ってきたとのこと。私が作ったものでは足らないのかと考えさせられました。
たまたま和子牧師が先に倒れたので私が支援していますが、私が先に倒れて支援を受ける立場になっていたかもしれません。
以前、小見川教会にY牧師夫妻がいました。奥様はリュウマチを患いご主人がおんぶして移動していました。奥様は信徒でした。二人には強い愛情がありました。
この文章を書いている私には、どのくらい妻に対して愛情があるのかと示されています。あれから8年になります。いまでも食べることは最大の課題です。
人には「得て不得手」があるものですね。またまた暑くなってきました。早く起きて頑張らないと。
私が草刈りを機械でするようになったのは、水郷めぐみ教会がここに来てからです。それまでの10年間は、セイミヤ近くの小さな教会でしたので草刈りの必要はありませんでした。
それが急に広いところに移るようになってから草刈りをするようになったのです。ここに決まったときは3月でしたので草は生えていませんでした。ただ広いところだなと言う印象がありました。
一年目は余り気になりませんでしたが、二年目に草が気になりました。それも教会に進入する道路に生えている草です。
当時、教会に入る道はここしかありませんでした。車一台がようやく走れる狭い道。夏になるとあっという間に草が生え始めてきました。舗装されていませんから草はどんどん伸びてきました。
それを見て示されたのが草刈機(草払い機)です。今まで使ったことが無かったのでエンジンをかけ、肩に担ぐベルト、歯の取り換えなどを覚えながらでした。
教会に来るのに草が生えていては脱輪の危険もある(実際ありました)。一生懸命に草刈りに励みました。市道ですから本来役所がすべきものです。おかげさまで草刈正雄を名乗るまでになりました。
教会の場所はもともと田んぼであった所に山土を運んで造成した土地です。初め数年は草も生えませんでしたが、今はご覧の通りです。
先週は暑さのため草刈り作業は出来ませんでしたが、その数日前の夕方、中学3年のM君が初めて機械を使った草刈りをしてくれました。また小学6年生のAくんはフォークで刈った草を軽トラに乗せてくれました。教会がここに来たときはまだ生まれていなかった二人です。
今年の夏は、例年以上の暑さです。日の内の作業は危険です。私もしません。物置に機械やカマが置いてあります。先週は涼しい日があったのでT兄が刈ってくれました。
草が生えたままですとゴミが投げ込まれることがあります。将来、教会がこの広い土地を得ることが出来たら社会貢献できる施設が出来たらと思います。しかしそれは次の時代の人たちの祈りと信仰です。広い土地を有効に用いたいですね。
私が教会にいるときは一階の和室にいます。二階に書斎があるのですが、二階の上り下りがきつくなってきてほとんど一階和室です。
窓から見える先は、稲が緑を濃くしている水田。さらにその先には国道51号がよく見えます。国道を見ていると色々な車が通ります。乗用車、大型トラック、あるいはマイクロバスなどです。救急車もよく通ります。
それぞれが物を運んでいます。トラックには何が積んであるかわかりませんが荷台の中には色々なものが積まれ運ばれているのでしょう。鹿島コンビナートが近くにあるので化学製品、大きな鉄骨、コンテナを積んだトラックも走っています。そのような運送があって我々の生活が成り立っているのかなと思いながら見ています。
私は大型免許を持っているので、大型車が走るのに興味があります。物の運搬は昔から行われている大切な働きです。今は世界中に物の運搬がなされています。
ソ連が存在していたころ、私は海外宣教を使命としている宣教師の方と共に、鹿島港に入ってきたソ連船に乗り、ロシア語の聖書を配ったことがありました。また中国から来た船員にも配りました。
共産圏では信仰に国の統制があり自由に宗教を持つことができません。聖書も印刷するに国の許可が必要です。そんな時、我々が聖書を渡すと彼らは喜んで受け取ります。国に帰れば聖書が高く売れるから。
外国船に乗るのは簡単でありません。そこは外国になるのです。税関を通しての許可が必要です。厳しい検査がありました。
当時のソ連船はタラップを上るとそこで止められます。そんな中、ロシア語のできる宣教師が船員と話します。そのすきを狙って聖書を色々なところに置いてきます。反対にオーストリア人は我々を歓迎し船長室に招き入れたりしてくれました。
今、世界的にみて宗教に対する締め付けが強くなっています。日本の隣国である中国、北朝鮮は信仰の自由がありません。国の指導の下に信仰が行われています。
言論、信仰の自由は民主主義の基本です。聖書が自由に世界中に運ばれるように祈るものです。聖パウロは福音を初めて世界に運び広げた人です。