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Q37、死んだ後に天国や地獄があるという教えは本当でしょうか。死んでしまえば、人は灰となりそれで終りなのではないでしょうか。(10代男性、学生)


A37

◆死を境に人はどうなる?




 人がもし肉体だけで存在の全てだとしたら、死は灰、叉は土に戻ることで終りでしょう。




 しかし人間は単に肉体だけではありません。レントゲンや胃カメラ、さらにどんな最先端の医療機器をもっても見いだすことの出来ない魂があります。




 人類は未だに「生命」そのものを解明出来ていませんし、魂についてはなおさらです。解明されていなくても、現に命はありますし魂もあります。




 「死」を境にして肉体は全く様変わりをして存在し続けます。




 では魂の方は死を境にしてどうなるのでしょうか。生死の境を行き来した方々の経験 (near death experience) をまとめた本がよく売れているそうですが、今も昔も死後の世界は人類の謎なのです。






◆死後の世界




 死後の世界は、「人は仏になる」とか、「輪廻の原理で何かに生まれ変わる」、「天国と地獄がある」、「灰と化し何も残らない」等、いろいろな説明があります。




 理屈や証明、また理解を越えた世界ですから、どれが本当か人間の側から判断することは死を経験すること以外に不可能でしょう。




 大切なのは、いろいろな説を比較し最も納得のいくものはどの説かを問うことではなく、むしろ命や死、さらには死後について真理を語りうる存在はどなたなのかを問うことです。




 はたして命の創造者以上に、死と死後について真理を語る資格を持つ方がいるでしょうか。私はその創造者なる神を信じ、その神が人類に贈られた聖書の伝えることを信じています。




 聖書には、死後さばきがあることと、そして救い(天国)と滅び(地獄)が明確に示されています。さらに、黙示録には解釈の難解な深い真理も隠されています。




 生きているものにとって最も確実なことは、必ず死ぬということです。逃れることの出来ないこの死という厳粛な問題を、あなたはどなたに委ねますか。



Q38、世の終りに関する「ハルマゲドン」といった言葉をよく耳にする今日この頃ですが、この言葉は聖書からとられたと聞きました。キリスト教では、「ハルマゲドン」や終末をどのように教えているのですか。(20代男性、学生)


A38


 アメリカのある科学誌に世界大戦以来「運命の日の時計(終末時計)」というものが掲載されているそうです。




 それは、核戦争による地球破滅の瞬間を午前零時に設定し、米ソの緊張が高まると時計の針は進み、軍事交渉などがうまくいくと三分前から六分、十分前と修正されます。




 冷戦が終結したことでその時計の針はかなり逆戻りされたことでしょう。




 世の終りは核戦争によるとは限りませんが、この時計は、世の終りがやがて来ることを警告している点で象徴的です。






◆なぜ冷戦後に終末論?




 冷戦にピリオドは打たれたとしても、それで平和が来たわけではありません。




 世界各地の民族紛争、深刻な環境問題、いつ襲ってくるか分からない大地震、ガスや爆弾による無差別殺戮の恐怖等、世の終りが近いことを感じざるを得ません。




 ある種の新興宗教においては、ノストラダムスと同様に、自己流の終末観にもとづいて聖書の黙示録を利用し、終末への恐怖心を煽るのみならず、極端な行動を駆り立てているのが現実です。




 問題は聖書の終末預言と様々な終末予言といわれるものとのギャップです。




 黙示録は象徴や隠喩を用いて隠された真理を伝えるといった黙示文学の形態も含まれるゆえ、極めて慎重な解釈が要求されます。




 軽率な解釈で人を惑わすことは自ら滅びを招くことにつながると聖書は警告しています(2ペテロ 3:16 )。






◆「ハルマゲドン」とはなにか




 「ハルマゲドン」という言葉は黙示録 16:16 に出てくるひとつの地名です。




 「ハル」は山を意味し、「マゲドン」は旧約聖書の「メギド」が語源だとされています。この言葉は戦場として有名な「メギド」(士師記5:19、列王記下9:27、23:29 他)という地名に由来しています。これらが結合して「メギドの山」という意味になります。




 「ハルマゲドン」 黙示録 においては、神と悪の霊(サタン)との最終決戦の場として描かれてあり、神の側に勝利が約束されています。




 これが実際に何を意味しているのかを知るためには、旧約聖書(特にダニエル、エゼキエル書)の内容が明らかにされたうえで慎重に解釈されることが必要です。






◆世の終わりの前兆




 聖書は地上の人生に死という終りが来るように、人類の歴史にも終りが来ることを明言しています。




 キリストご自身も、終りの日の前兆として次のようなことを挙げています(マタイ24:4〜14)。




(一) 偽キリスト、偽預言者の登場、


(二) 戦争と戦争のうわさ、


(三) 飢饉や地震といった天災、


(四)人々の愛が冷え、


(五)憎しみ、裏切り、不法がはびこり、


(六)全ての人に福音が伝えられる。


それから終りが来ると教えています。




 個人においても国家や人類といったレベルにおいても地上の終りがあり、そして神の審判の前に立たされる時が来ます。




 「終りの日」は父なる神のみがお定めになるのであって、それがいつであるかはキリストも知らされておらず(マタイ25:36)、まして人間には全く隠されたものとされました。




 ある新興宗教がするように「終りの日」を特定することは許されておらず、その行為自体が神への反逆です。




 今、私たちに大切な事は、「備える」ということです。




 それは、脅えつつ生きることではなく、むしろいつ終りが来てもよいように、罪を悔い改め神の前に敬虔に生きることです。それによって平安をもって今を精一杯生きることが出きるのです。





Q39、占いは良くないと聞きましたが、それは悪霊と関係があるからでしょうか。雑誌に掲載されている様なものはかまわないと思うのですが。(10代女性、学生)


A39


◆「未来」という不安




 遠い未来が近付き、そして「今」となる。




 今という一瞬一瞬は絶え間なく過去となり、やがて遠く離れ記憶からも消えていく。人間には、回想や想像によって過去や未来に思いを馳せることは出来ても、現実に使える「時」は「今」という時しかないのです。




 私たちは時の流れに逆行したり、飛び越えたりすることが出来ません。




 どんなに悔やんでも過去に戻ることは出来ませんし、未来も、「一寸先は闇」というように、いつ思いがけない事が起きるか分りません。




 幸せの絶頂にいる方がかえって不安になるのも、未来が濃い霧に包まれているからでしょう。




 未来への不安は、現在の生活を脅かします。また、未来や将来が霧で見通しが悪いと、現在を生き生きと全速力で走ることは困難です。未来を知ってみたいという人間の願望は、切実なものです。




 最近、未来学 (Futurology)という 学問が出てきましたが、現実の社会は予測のつかない突然の出来事によって大きく左右されます。




 科学の光をもっても見ることの出来ないこの霧の向こうを人々は昔から占いによって見ようとしてきました。






◆占いの恐ろしさ




 しかし、聖書では占いをしてはいけないと、はっきり伝えています (レビ記19:31)。




 占いは神への不信仰の現われであり、それで未来を捕えようとすると、逆に「占いの霊」があなたを捕え、未来への不安に付け込んで人生を振り回します(使徒16:16〜24)。




 大切なのは、越えることの出来ない「時」という人間の限界を謙虚に認め、時を支配される神に人生を委ねることです。




 そうするとき、神は未来への希望とヴィジョンを与えてくださり、今を精一杯生きることが出きるのです。




Q40、母から形見として預けられた数珠を持っているのですが、それは他宗教で使われるものなのでクリスチャンとして捨てるべきなのでしょうか。(30代男性、サービス業)



A40




 自分を産み育ててくれた母親への思いをその数珠を大切にすることであらわしたい。しかし、その数珠が他の宗教の神と係わりをもっており、唯一の神の前に喜ばれることではない。




 このように、人間としての自然な気持ちと、自分の信じる神への信仰が対立してしまうことは異教国日本においては、クリスチャンが避けて通れない悲しむべき現実です。




 物事を極端に取り、数珠を持っていると救われないとか、クリスチャンになるということは人間をやめること、などと考えるのは問題です。




 また、数珠は単なるひとつの物体だからそんな真剣に考えなくてもよい、という態度も問題です。






◆聖書の光にてらすと




 ではどうしたらよいのでしょうか。まず聖書に立ち戻ることです。




 もちろん、聖書に安直でインスタントな答えを求めることは筋違いです。しかし祈り心をもって真剣に求めるのなら、神の喜ばれる道とそれを実行できる力を与えてくださいます。




 聖書は「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト20:2〜4)とはっきりと命じています。




 また、「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜る地で、あなたが長く生きるためである」(出エジプト20:12)ともあります。




 神か親かという一方だけではなく両方がここでは含まれています。それと同時に、順番も含まれていることを見逃してはならないのです。




 ですから、まず「神は何をお喜びになるのか」ということを祈り求めていくなら、「父と母を敬い」人間として自然に持つ親への思いを表す道が与えられます。




 ではそれはどういったものなのでしょうか。






◆解決への道




 親を大切にしたいという思いと、唯一の神のみを神としたいという信仰とが対立しているかに見える現実の中で、クリスチャンとしてどう対処すべきなのでしょうか。




 まずこの問題に対する私たちの基本的な姿勢、すなわち神を第一とすることが、何よりも大切なことです。その中で親を大切にする道が開かれます。では神第一とはどうすることなのでしょうか。




 まず、こういった問題の中に自分がおかれていること自体に、神の特別なご計画があることを受けとめることです。この問題は、きっとあなたにとって信仰のチャレンジでしょう。




 つぎに祈りの中で与えられた神の導きに従うことです。私の知るかぎり、この問題に三通りの方向があります。




(一)その数珠は、他宗教の神と係わりを持たないひとつの芸術品なので、保管しておく。


(二)その数珠が、偽りの神と係わり、その事実が主に喜ばれないことが示され、焼き捨てる(何らかの方法で処分する)。


(三)その数珠は、芸術品ではあるが、他宗教で使われたので、牧師又は力ある祈り手にお願いして、特別に祈っていただいたうえで保管する。


 これ以外にもたくさんの可能性があるでしょう。




 しかし、大切なことは真剣な祈りの中で示された主の導きに従うことです。




 ですから第二の導きが示されたら、焼き捨てるべきでしょう。




 神に従って誤解されたが、やがてその親もこの唯一の神に導かれた、という生きた証に出合うたびに、真の親孝行はその親を誰よりも愛する神に従うことだと確信させられます。




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